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サンパウロ市で現存、最古のサンバ学校=リベルダーデの下町に=「昔から日本人がいた」=ロゼメイレ会長が証言

3月4日(火)

 サンパウロ市に現存するエスコーラ・デ・サンバ(サンバ学校)で、最古の団体は実は東洋人街にある。バロン・デ・イグアッペ街をまっすぐ下ってジュンケイラ・フレイレ街に突きあたる角の左側(九八五番)だ。ロゼメイレ・マルコンデス会長は「当学校には昔から日本人がいた」と証言する。
 一番古いのは、連載『カルナヴァルと日系人』第一回で紹介したクイッカのジョアン・ジャポネース(戦中・戦後からと言われる)、七〇年初めごろから熊谷アントニオさん(通称〃シナ〃)がプッシャドール(歌手)やジレトール(役員)として、数年前まで活躍していた。
 また、リベルダーデ文化福祉協会も七〇年代中頃、エスコーラの要請により、募金活動などを展開したことがあった。同協会の評議員会長の網野弥太郎さんは「水本さんが会長の時代だったな。少なくとも三年ぐらいは応援したよ。東洋祭りにも出てもらったこともあった。あの頃はリベルダーデも景気がよかったからね」と思い出す。
 網野さん自身も個人的に、ふとん店から生地を衣装材料に寄付したそう。「七〇年代に治安が悪化しはじめたことと、七夕祭りができ、東洋祭りも盛んになったことから、サンバのことは忘れられてしまった」と語る。
 創立は一九三七年二月九日だ。三五年頃にリオのサンバを見に行った黒人のマドリンニャ・エウニッセ(Eunice Ferraz Campos)は、サンパウロにもエスコーラを作ろうと堅く決心をして帰ってきた。
 当時、黒人がコミュニティを作っていたのは、現在でも多くのエスコーラを抱えるバラ・フンダ地区、ヴァイ・ヴァイのあるベッシーガ地区(ベラ・ヴィスタ)、そしてリベルダーデだった。
 リベルダーデの中でも、下町にあたるバイシャーダ・グリセーリオに多くの黒人が住んでいた。〃日本移民の故郷〃とも言われたコンデ・デ・サルゼーダス街は、その一角にある。黒人奴隷を「あの世で自由(リベルダーデ)になれ」と首切り台で処刑した広場にちなんで名づけられた地名と、その歴史を偲んで建てられたリベルダーデ広場横の通称〃首切り教会〃はその当時のなごりだ。
 一九三六年に活動をはじめ、翌三七年にエスコーラは創立し、以来、ドナ・エウニッセはカリスマ的人気を持って団体を拡大した。四〇、五〇、六〇年代がその絶頂期で、連続優勝することも珍しくなかった。
 しかし、ドナ・エウニッセが年を取るにつれエスコーラに活力がなくなり、七〇年代に下部リーグへ落ち、現在にいたる。九五年にドナ・エウニッセが亡くなるまで、エスコーラの本部はグロリア街九六一番の民家にあった。
 一昨年に優勝し、現在は伝統と名声を誇るネネ・ダ・ヴィラ・マチウジの創立者セウ・ネネ(Alverto Alves)も、いつかはラヴァペスと互角に争えるようなエスコーラにすることを夢見て一九四九年一月に活動を始めたと、九八年二月二十二日付ジアリオ・ポプラウ紙は報じている。
 現在グルッポ・エスペシャルのウニードス・ド・ペルーシェも五五年にラヴァペスから分かれた人々が五六年に創立したエスコーラだ。
 今年は約六百人のパレード参加者で、グルッポ2の優勝を目指す。「ぜひ今年勝ってグルッポ1Aへ行きたい。そうすれば念願のアニェンビーでパレードできる」とロゼメイレ会長は期待を膨らませている。

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