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施設でお年寄の話し相手16年=ボランティア〝退任〟=高木さん67歳、たくさんの思い出=援協が感謝状贈る

5月22日(木)

 援協ボランティアとして十六年間、スザノ・イッペランジャホーム(福島庄太郎ホーム長)などの老人ホームで活動を展開してきた高木慎子さん(六七、山口県出身)が体調不良で、辞めることになり、援協は十五日、感謝状を渡すなどして、長年の労をねぎらった。高木さんは、「経験の無かった私をここまで育ててくれたのは、皆様のおかげ」などと謝意を述べ、ハンカチで涙を拭った。
 高木さんは夫が通訳をしていた関係で、六十年代初めに渡伯した。一人暮らしの母親を日本に残してきたため、毎年、顔を見せに帰省していた。
 母はいつからか、福祉士の援助を受けるようになった。その後、「遠い親戚よりも近くの他人」と、漏らし始めたことで、介護を他人の手に委ねることを決意した。
 と、同時に、「母親が生きている間は、ブラジルで何か恩返しがしたい」と、援協の門をたたいた。
 担った役はレクリエーションのコーディネーターとお年寄りの話相手。軽体操やゲームを楽しんだり、各種相談に乗ったりするなどした。
 毎月二度、イッペランジャホームまで片道三時間半の道程を地下鉄やバスを四度乗り換えて通った。
 母は七年前に、八十四歳で亡くなり、「もう、やめよう」と一度は決心した。しかし、「辛いときに、スザノのお年寄りたちに慰めてもらった」と、思い止どまった。 
 サントス厚生ホームの入居者二人が九七年に相次いで自殺。ショックを受けていた入居者を励ましたいと、厚生ホームにも活動の場を広げた。
 自身、「虹の会」を主宰。月に一度、サンパウロ市プラサ・ダ・アルボレ区の教会でシニアを集めてレクリエーションを行っており、多忙な毎日を送ってきた。
 年齢を重ねるに従って、そろそろ体力的な限界を感じ始めた。
 ついに、今月に入って二度、一身上の都合で休んでしまい、入居者の期待を裏切った。
 「仕事が不定期になるのは、相手に失礼」と、悩んだ末に〃退任〃を決断した。
 「何を言ったら良いか分からないぐらい、思い出はたくさんある」。こぼれ落ちた涙が光った。

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