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移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ

6月28日(土)

 移民収容所第一期生の収容所生活が始まった。全国から集まった五百八十一人の移住者の受け入れは、所員にとっても初めての経験で、とまどうことばかりだ。生活習慣、考え方、年齢も異なる大集団だ。大食堂での食事が始まった。一回の食事で消費する米は「四斗炊き蒸気釜二回分と一斗炊き計九斗」だ。
 副食は、牛肉と馬鈴薯にねぎの炊き合わせだ。ところが牛肉と馬鈴薯を一緒に食べる習慣がない地方の移住者が「何でもよいから他のおかずと替えてくれ」と所員を困らせる。食堂は火事場のような騒ぎだった。
 長峰医官は大忙しだ。若い母親が発熱した子供を連れてきた。診察すると肺炎だ。氷の手配をしているところへ、今度は歯痛を訴える子供が駆け込む。初日の長峰医官はついに昼食抜きだった。
 慣れないベッドでの一夜が明けた。午前四時ごろから、廊下を走り回る子供の足音で目がさめる。「老幼や男女も無差別に 腕に刺される注射針」(神戸又新日報一九二八年三月十三日)のおどろおどろしい見出しは、収容所の予防接種風景だ。
 二日目午前九時からチフスの予防接種が始まった。七十七歳の老婦人から三カ月の乳児まで、順番に長峰医官から左腕に注射を受ける。午後は注射の影響で軽い発熱症状がある人もいるので休講となった。ベッドに寝ている人は、一部屋に二~三人程度で、子供を連れて買い物に出る人、赤ん坊を背負い洗濯する主婦など、みんな思い思いに時間を過ごす。
 三日目の午前九時、講話開始のベルが鳴った。講堂に集まったのはわずか五十人余り、所員が各部屋を廻り動員をかける。深夜に収容所をぬけだし、朝帰りで寝ている移住者をたたき起こし、行李を整理している人を追い出し、やっと講習が始まった。
 「南米をパラダイスと心得て、南米に行きさえすれば、ひとりでにふところが膨らむやうに考えている人たちが移民の中にかなり多いやうである」「楽しい夢を追っているてあひにとっては、ブラジルの天地は決して楽境ではない、文字通り堅忍不抜の精神がブラジル未開を開く鍵だ。鍵には貴い地と汗の労働がにじんでいると言うことを心得て」「ブラジルには宝の山はない、荒無の大原にたって、ガッカリ悲観しないやうに予め教えて置かうといふのがけふの講習である」(上記紙 三月十四日)。
 どうやらブラジルへ行きさえすれば大金を稼げると安易に考えている移住者が多いようだ。中嶋講師がコーヒー園の労働の厳しさについて話をすると「こんなはずではない」とため息をつく人もいた。居眠りをする人、うわの空で聞き流している人もいた。
 午後の田中講師の衛生講話も集まりが悪かったので、またまた各部屋から狩り出しの後開かれた。ブラジルの風土病やマラリヤの予防に関する話だ。
 四日目の種痘は、移住者にちょっとしたパニックを引き起こした。子供たちが治療室を怖い部屋と覚え込み、注射が痛いことを忘れないからだ。治療室の前まで子供を連れてきた母親も嫌がる子供を部屋に連れ込む勇気はない。だましすかしてやっと部屋に子供をひきずって入ってきても、光るメスを見て、今度は母親が尻込みしだした。長峰医官は、怖い先生と敬遠され、憎まれ役を一人で買って出ることとなる。
 「講義時間中は静粛に」との貼り紙が出された。講義室はいっこうに静かにならない。母親の乳房をすっていた乳児が急に泣き出す、トイレに出入りする子供に付き添う父親、とうとう子供が後ろで鬼ごっこを始めた。「ステッキはどう振りますか」「刀は持っていけますか」「金はどのようにして日本におくるのですか」「子供の菓子はどんなものを持っていけばよろしいか」「雨合羽の用意は要りますか」などの質問が相次ぎ中嶋講師にだされた。

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