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北伯の柔道暑中稽古=松尾報告「7月は〝柔道漬け〟だった」=暑さとも戦う1日6時間=日本語のあいさつ板につく

8月9日(土)

 ポッソス・デ・カルダスの公立校で柔道を指導、ブラジルの柔道の底辺を広げる活動を毎日している松尾三久さん(六一、東京農大卒)は、去る七月、いつもに増して〃柔道漬け〃だった。寒稽古の指導を二つこなした。一つはパラー州ベレンで行われた。同地で、東京農大の先輩たちと交歓、拓殖大学の同窓会にも招かれた。講道館の大先輩・前田光世の墓参もした。以下は、ちょっと〃ばんカラ風〃の、よき時代を彷彿させるような「松尾報告」。
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 恒例バストスの寒稽古は、七月六日から十一日まで行った。参加は百二十人。気温が下がらず、日中はポカポカしていたので、ピクニック気分にしてはいけないと心配、馬掛場卯一郎先生(バストス道場主)と時間を厳守させ、一日七時間、休む間のない猛練習を課した。
 いつの寒稽古も楽であったことはない。今年も全員頑張って、自己の能力の限界に挑戦するという目的を達成して終了式、大掃除、シュラスコのあと、再会を約して解散した。
 北伯ベレンでの寒稽古は、同十三日から二十日まで。ベレン空港は陽光が満ちていた。私(松尾)は、六五年から三年間、ベレンから三百キロのパラゴミナスにいた。昔五日間の旅が今は五時間。アマゾン河口のホテルに着く。アマゾン河の濁流はもちろん、ベレンの街も三十五年前と全く変わっていない。この街は歴史保存のため、改築工事をしてはならないそうだ。
 ホテルに荷をおろして、すぐパウロ君の道場に向かった。一八八センチ、一〇〇キロのパウロ君が、私をベレンに呼んでくれたのである。その好意に報いるべく、大いに働こうと考えながら、道場に着く。二十五人くらいの生徒が待っていた。
 みんなまじめそうで、おとなしそうでもある。寒稽古の目的とか、練習方法、時間割などを説明し、そのあと軽いトレーニングをしてその日は終わった。
 翌日、月曜日から朝九時~十一時、午後三時~五時、夜六時~八時、の一日三回の練習が始まった。全員、こういう(厳しい)ことは初めてだ、と言いながら、誰も欠けずに熱心にやって来る。暑さとの戦いでもあり、みんな一日一キロぐらい体重が落ちたようであるが、なかには食欲が旺盛になり、一週間で四キロ増えたという〃特別製の〃日系二世もいた。
 当地は、七月が一番暑く、市民はこの時期、モスケイロとかサリーナスのプライアに行ってしまうのだという。だから、パウロ君たちの提案で、途中から、稽古の名称を「暑中稽古」に変えることになった。そして、寒稽古は、来年は少し涼しい一月中旬にしようとなった。
 火曜日からベロ・オリゾンテ在住の岩船貢先生の参加があり、練習は一段と盛り上がった。元拓大柔道部で主将だった岩船先生の指導を生徒たちは眼を輝かせて聞いている。
 一日三回の猛練習は続けられ、おとなしそうに見えた生徒たちは一人も欠けなかった。気合も鋭くなり、日本語でのあいさつも板についてくるのを見るのは楽しいことであった。
 こうして金曜日の夜の練習をもって、ベレンでの暑中稽古は無事終了、みんなで最後のフェスチーニャをして歌ったり、踊ったりした。この日、岩船先生は、トメアスーの南部農場を訪問して不在、ちょっと残念だった。来年一月の寒稽古での再会を約束して、ホテルに帰った。その夜、疲れていたが、なかなか眠ることができなかった。

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