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夢に賭ける日本人女性=カルナヴァル=石黒さん リオでポルタ・バンデイラめざす=エスコーラの〝星〟に=「外国人として挑戦する」

12月6日(土)

 ブラジルを代表する伝統的祝祭カルナヴァル――。その最もブラジルらしさを問われる芸能に挑戦する若き日本人女性がいる。「外国人のポルタ・バンデイラとして、どこまでできるか、挑戦したいと思ってやっています」と石黒路子さん(福岡県出身)は気丈に語る。日本人には馴染みの薄い言葉だが、エスコーラ・デ・サンバ(サンバ学校)の中でも最も重責とされる役割だ。この夢を実現するために昨年仕事を辞め、この九月、彼女は再び日本からやって来た。

 「歌舞伎の世界に外国人が入るようなもの」と石黒さんは例える。ポルタ・バンデイラは、その名の通り、エスコーラの旗(バンデイラ)を持って踊る役割だ。つまり、ブラジルで最も伝統的な体質を持つコミュニティを代表し、シンボルとしての存在になることを意味する。単に技量が優れているだけでなく、コミュニティ内で絶大な信頼がないと任せてもらえない。
 パレードを評価する十項目の一つに、ポルタ・バンデイラと、対になって踊るメストレ・サーラを採点する項まである。「踊る」というより「優雅に舞う」とでも言うべき、品のある独特の動きが必要とされる。一回のパレードには四千人が参加することもあるが、個人技が直接採点されるのはこのカザウ(ペア)だけ、という事実からもその重要性が伺えよう。
 石黒さんは一九九四年、東京外語大一年の時、浅草サンバ・カーニバルで有名な学生サンバ団体ウニオン・ドス・アマドーレスでポルタ・バンデイラを始めた。九六年から一年間、だるま塾を通してリオの日本語モデル校で教職に就くかたわら踊りのコースにも入学。
 努力に加えて縁にも恵まれ、九七年にリオの一部リーグのエスコーラ、アカデミコス・ダ・ロッシーニャの第三ポルタ・バンデイラとしてサプカイー(リオのパレード会場)に出場した。「ブラジル人以外で初めて」と当時の新聞はこぞって書きたてたそう。
 「素晴らしい経験でした」と振り返る。その後の彼女の人生を決めたパレードだった。ブラジル人が子どもの頃から家族ぐるみでエスコーラに通い、一生懸命練習、アピールしてもなれるかどうか分らないエスコーラの〃星〃。それがわずか半年で出場。
 「次の年、再び来た時に悔しい思いもしました。エスコーラのシンボルを持って踊るわけですから、外国からきた人間に簡単に任せてもらうことは難しいんです」。九八年はやはり一部リーグのグランデ・リオに出場した。ただし「ダ・カーザ(身内)としてでなく、コンヴィダード(招待)としてでした」。
 その後、日本で大学を卒業し、会社へ就職。ブラジル駐在員として来ようと考えて四年間働いたが、そのプロジェクトが中止されたのをうけ、「もう一回、ブラジルに住みながら挑戦したい」と昨年九月に辞職し、すぐにリオへ渡り半年。そしてこの九月に再来伯した。四度目だ。現在、二部リーグのレナッセール・デ・ジャカレパゴアなどに所属し、来年のカルナヴァルに向けて練習を重ねている。

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