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消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(2)=戦後初の私塾の開設者=安藤さん=非合法経営不安だった

12月11日(木)

 「戦後初めての私塾は、私が開けたのですよ」
 サントス厚生ホームの居室で、九十二歳の老女が静かに口を開いた。入所者の中でも年長者に入るが、物腰はしっかりとしており、言葉の端々に教育者の威厳が漂う。
 旧双葉学園(現サウーデ日語学校)の創立者で八十八歳まで教壇に立った。
 安藤富士枝さん(岐阜県出身)は三四年七月、ホーリネス教会の牧師だった夫と二人でブラジルに渡航。レジストロ市(SP)に本拠を据え、布教活動に取り組んだ。
 当時、リベイラ川がしばしば氾濫。洪水でミサを中止せざるを得ないおりに、夫は、下半身を水に浸かりながら、信者の住宅を回った。
 無理がたたって内蔵を悪くし、四六年に急死。十一歳(当時)の息子と本人の二人だけが残された。「経済的に直ちに追い詰められることは無かったけど、それからの生活を考えると不安だった」。
     ◇
 生きていくため、安藤さんは日本語学校の開校を決意した。戦前に、子供たちに日本語を教えていた経験があったからだ。
 「日本で看護学校を卒業したけど、こちらでは資格が無いから無理でしょう。結局、自分にはこれ(日語教師)しか出来なかった」
 この頃は既にジャルジン・デ・サウーデ区に移り住んでいた。近所に住む日本人の協力を受け、翌四七年一月十五日、開校にこぎつけた。学校名はポルトガル語で「ESCOLA ALVORADA」と言った。
 ちょうど一週間前に、特行隊による最後のテロ事件が起きたばかり。日系コロニアは、混乱していた。夫は生前、「勝ったとも負けたとも言うな」と諭した。「日本が負けたとは思いたくは無かった」。
     ◇
 生徒七人でスタートした学校は翌年には三十人ほどに増え、イピランガ区内に分校を持つまでになった。日本から教科書を取り寄せ、戦後移住者の教師を雇用したので、学校関係者は間もなく、敗戦を認識した。
 保護者の多くは戦勝派で敗戦を示唆するような内容を取り上げたら、苦情が出た。「怒鳴り込まれてひどい目に遭ったこともある」。
 学習者数が膨らむにつれ、学校行事の計画が持ち上がった。安藤さんは正直言って、気が向かなかった。非合法経営であることが警察当局に分かってしまうと不安だったからだ。
 結局、教え子や父兄の勢いを止めることは出来ず、運動会をすることに。実は、天長節の祝賀会が有力案だった。しかし、時局をめぐるコロニアの対立を考慮し、取りやめた。
 開催日前夜、安藤さんは息子を呼んで「お母さんは明日、運動会が終わったら旅行してくるからね。後のことは隣のおばさんに頼んであるから、心配しないで」と言い聞かせた。不慮の事態に備えて気を配ったのだ。
 当日、ジャルジン・デ・サウーデ区内のカンポには万国旗がはためき、子供たちが走り回った。当局に踏み込まれることなく切り抜けることが出来た。もちろん、〃旅行〃に出掛けることもなかった。
 「お母さんがどこにも行かなくて良かった」。子供がそう、つぶやいた。つづく。(古杉征己記者)

■消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(1)=授業初日に当局踏み込む=国井さん=父と兄はアンシェッタ島へ
■消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(2)=戦後初の私塾の開設者=安藤さん=非合法経営不安だった
■消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(3)=戦勝派の家族に食料援助=飯田さん=「私は〝灰色〟貫いた」
■消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(4)=「村の日語校再開させたい」=大浦さん=警察の副署長に直訴
■消えなかった日本語教育=戦中、戦後の日系社会混乱の中で(5)=「ANDES」極秘裏に閲覧=上新さん=養蚕小屋で教えた日々
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