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教科書 時代を映して変遷(5)=人間教育を重要視=『松柏』の川村さん=「戦前の教科書に夢があった」

4月20日(火)

 「戦争のない世界をつくるために、教師になって平和の尊さを子供たちに教えたい」
 そんな夢を抱いて、帰伯二世の女性が五二年七月、サントス港に降り立った。十一年ぶりにみるブラジル。川村真倫子さん(七五、松柏学園長)、二十四歳のときだ。
 一年間、留学するつもりで四一年に、日本に向けて発った。だが、直後に太平洋戦争が勃発。帰国の途が閉ざされてしまったので、滞日期間が延びた。この間、女子高等小学校、師範学校と進学した。
 戦争中には、学徒動員で工場に駆り出された。戦闘機の部品を製造。「ブラジルの同盟国、アメリカを倒すために働いている」と悩んだ。一方、友人が出征するときには、「がんばって」と激励。母国と父祖の国との間で心が揺れた。
 B29の爆撃の中を逃げ惑い、防空壕に避難した経験を持つ。「よそ者が入ってきたから、爆弾が落ちる」と差別されたことも。
 「日本に着いたときは、みんなが温かく迎えてくれたのに、戦争になるとどうしてこんなに汚くなるのだろう」
 そんな思いが少女を教職へと駆り立てていった。
     ◇
 「サイタサイタサクラガサイタ」
 旧大正小学校卒業。『小學校國語讀本』(旧文部省)で日本語を学んだ。「音の流れといい、詩的な美しさといい、言葉に夢があった」。だから、松柏塾(松柏学園の前身)を開けたとき、しばらくは戦前の教科書を用いた。
 もちろん、周囲からは古臭いと揶揄された。が、あくまで自身の信念を貫いた。「戦後の国語教科書は理屈っぽくなってしまった。翻訳ものもずいぶん入ってきて、『これ日本語?』と言いたくなった」そう。
 コロニア向けの教科書もこれまで数々開発され、導入を試みた。が、「何か、気を付けしているような固い感じ」がして定着させることが出来なかった。
 現在、使用しているのは東京書籍の国語シリーズ。「日本人の心」を分かってほしいという願いを込めて採用した。「中学二年まで終えれば、だいたい留学試験には大丈夫です」と自信をのぞかせる。
 家庭で日本語を話さない日系人や非日系人の学習者が増加しているので、ブラジル向けに指導方法を工夫する。辞書をたくさん引かせることもポイントのひとつだ。
     ◇
 松柏塾は年々、生徒が増加、それに伴って学校を移した。移転のたびに、教室の数も増えていった。現在地に校舎を構えたのは、二十五年ほど前。娘の真由実さんらと協力して、ブラジル学校、大志万学院も十二年前に開校させた。
 日本の篤志家や倫理研究所をはじめ、多くの有志が資金協力。同じくアクリマソン区内に学校(敷地面積三千三百平方メートル)を建設中で完成すれば両学園が入居する。
 経営団体として、「社団法人松柏大志万」(本田剛志理事長)を立ち上げた。渡部和夫文協改革委員会長、谷広海ブラジル日本語センター理事長などが理事に名を連ねる。
 松柏は最新鋭の機器を入れ、語学学校としての設備を拡充させていく考え。「人間教育をしながら、一本筋の通った人間をつくっていきたい」。竣工予定は十月。川村さんの新たな挑戦が始まる。つづく。
    (古杉征己記者)

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