5月14日(金)
「せり、なずな、ごぼう…」。春の七草を読み上げる子供たちの声が教室にこだました。
サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区のイタマラチ学園(生徒数百四十八人、吉加江ネルソン校長)。三月初めに、七年生(中学二年生)のある日本語クラスを覗いた。
この日は暦カードをテキストに、日本の祝祭日を学んだ。「ひな祭り!先生、そんなのもう、知っているよ」などと流暢な日本語が飛び交う。
バレンタイン・デー(二月十四日)、ホワイト・デー(三月十四日)の場面では、本人の体験談も出て、話は盛り上がっていた。
生徒四人のうち三人が帰国デカセギの子女。どうりで日本の生活習慣について詳しいわけだ。発音も日本人とほとんど変わらない。
同学園では日本語が必修科目になっており、ブラジルに戻った後も日本語学習を継続できる。ただ、一般の児童・生徒とは日本語のレベルがあまりにもかけ離れて高いため、特別クラスが組まれている。
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九七年の入学受付時期。日本で小学五年生に編入していたという男子児童が入学を希望してきた。同学園が初めて受け入れた帰国デカセギの子女だった。
日本語はよく出来たがポルトガル語が弱く、六年生に編入しても授業についていくのは無理。そこでいったん、二年生まで学年を落として、飛び級で進級させた。卒業するまでには、なんとか正規のクラスに追いつけたという。
この子を第一号に、これまで、三十人ほどの帰国デカセギの子女が同学園で学んだ。
「ブラジル学校に少しでも早く馴染んでほしい」という思いから、個人授業などを設けて、ポルトガル語の補習を実施している。
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デカセギ子女の教育に関しては、日本語の継続学習よりはポルガル語を重視してきた。
「日本人の顔をしていて、日本語がしゃべれないのは寂しいですから」と経営担当の吉加江紀子さん。〇〇年に、日本語を必修科目に加えることを決めた。
(1)経営者が日系人である上に、日系人の児童生徒が九割を占める(2)世界的に日本語学習者が増加している──などの理由からだった。
「勉強は大嫌いでした。でも日本語のクラスに入って、(勉強を)やらないとだめだなと思いました」
ある帰国デカセギの子女が卒業に当たって、作文に綴った内容だ。
彼らはポルトガル語が理解出来ず、学校生活に劣等感を持っている。だが、日本語の授業は唯一、存在感を誇示できる時間。日本語の導入はプラスに働いた。
「友達たちに教えてあげたりしているうちに、自信を取り戻していくようでした。表情も生き生きとしてきました」(吉加江経営担当)
特別クラスを受け持っているのは大久保純子さん(三八)。ブラジル学校の聴講生で、日本語授業が導入されたとき、教師を買って出た。この日、新学期が始まって二度目の授業。生徒たちと話し合いながら、光村の中学一年国語を教科書に選んだ。
「この子供たちが将来また、日本にいく機会があるかもしれない。その時に、同世代の子と少しでも共通の話ができるようになってほしい。だから、日本の子供の文化的な背景を知ることができるよう、日本の国語教科書を使っています」
そこには、大久保さんのこだわりがみえた。つづく。 (古杉征己記者)