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■旧日語校返還=あと一息=百周年メドに=敵性国資産接収から60年=サントス=地元日系人が熱意


5月25日(水)

 旧サントス日本語学校の返還運動に新たな動きが出てきた。戦時中の接収から六十余年、地元日系社会を中心に進められてきた運動が、日本移民百周年を前に再び活発になろうとしている。地元出身議員などを通じて続けてきた政府への働きかけに加え、百周年記念事業の一環として返還を求めていくことで運動を盛り上げたい考えだ。二十三日、伊波興佑元連邦下議、遠藤浩・サントス日本人会長はじめ関係者が本紙を訪問。「あと一息です。移民百周年までにはぜひ返還を実現したい。一人でも多くの力が集まれば、それだけ返還が近づくと思います」と、協力を求めた。
 日本移民上陸の地、サントス。数多くの移民がこの港から新たな生活へと踏み出していった。
 サントス日本語学校の開校は一九二八年ごろ。日本政府からも資金援助を受け、市内中心部ビラ・マチアス区に建設された。敷地三千平方メートル。当時は市内に領事館もあり、四〇年ごろには約二百人の生徒が通っていたという。しかし、その学校も四二年、第二次大戦の開始と共に敵性国資産としてブラジル政府に接収された。
 「サントス在住の一世は二十四時間以内に内陸へ移動しなければなりませんでした」と語る遠藤会長。以来六十余年、同じ敵性国であったドイツ、イタリアの施設は返還されたが、サントス日本語学校が戻ってくることはなかった。現在、この施設は一部が軍の管理センターとして使われている。
 九〇年代に入り、返還に向けた動きが高まった。上新・サントス日本人会長(当時)など同地の日系人を中心に返還に向けた運動が進められた。九四年には当時の伊波興佑・元連邦下議が提案した返還に関する議案が下院での承認を受けたが、この議案は上院で否決され、以後大きな動きはなく現在にいたっている。
 そして現在、移民百周年を前にサントス日本人会、二、三世中心の金星クラブなど地元日系団体を中心に再び、返還へ向けた運動が活性化。当時の書類を整理し、地元出身議員などを通じて政府への働きかけを行っている。
 運動の中心となっているのは日本人会、金星クラブのほか、沖縄県人会サントス支部、サンビセンチ日伯協会、沖縄系の二、三世で組織するアソシアソン・アトレチカ・アトランタなど地元日系団体だ。
 本紙を訪れる前に一行は、文協の百周年協会を訪問。上原文協会長、松尾副会長などと懇談し、百周年事業の一環として議題にのせてもらえるよう協力を依頼した。会長からも運動支援に向けた前向きな返答を得たという。
 金星クラブの中井定男会長は「まずは返還。利用方法についてはその後皆で検討したい。日本語学校や、生け花折り紙など日本文化を普及するための文化センターとして、サンパウロの人も利用できるものにできたら」と展望を語る。
 「軍事政権の頃とは違い、現在のPT政権なら返還の話も進みやすいと思う」と遠藤会長。「とにかくこの問題を皆さんに知ってもらうこと。多ければ多いほど力になる。我々の力は小さい。皆さんの力で、百周年までには返還を実現したい。私たちの最後の目標です」と述べ、協力を求めた。

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