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94歳2世から6世まで=きょう97回目の「移民の日」=田畑家=ルーツは笠戸丸移民

6月18日(土)

 サンパウロ市在住の日系二世、田畑トキエさんは笠戸丸移民の子弟として一九一一年に生まれ、今年十月に九十四歳の誕生日を迎える。二世最高齢の一人だ。昨年十二月二十二日には、トキエさんの曾孫が日系六世となる男児を出産した。きょうは九十七回目の「移民の日」。ブラジル日系コロニアも六世が誕生する時代に入った。
 娘五人、孫十四人、曾孫十八人、玄孫(やしゃご)二人。田畑家は五世代に渡る大家族である。
 このほど誕生した六世はエンゾ・裕太君。トキエさんの曾孫バネッサ・マユミさん夫妻の長男で、現在七ヶ月になる。
 エンゾはイタリアの車メーカー・フェラーリ創業者エンツォ・フェラーリから、裕太は、昨年十月の新潟県中越地震で土砂に閉じ込められ九十二時間後に救出された皆川優太君の名前から取ったという。
 トキエさんは現在九十三歳。鹿児島出身の笠戸丸移民・川畑徳之助、カネギク夫妻の次女として一九一一年に生まれた。両親ははじめモジアナ線グァタパラ耕地に配耕されたが、その後サントスに移り住み漁師をやっていたそうだ。トキエさんが生まれたのもこの頃だ。
 一九二〇年前後、トキエさんが九歳の時に一家は聖市に移り、モルンビー、エンブーなどで農業を営んだ。バタタが主だった。
 トキエさんは耳が聞こえない。十歳の時に髄膜炎を患ったためだ。六歳で母親に先立たれ、十四歳で父親を亡くした。父親が死んだ後二十歳で結婚するまでは二歳上の姉、トミエさんが親代わりだったという。カンポ・リンポに移り現在にいたるが、その姉もご主人もすでに亡くなっている。
 苦労を重ねて来たトキエさんだが、九十四歳になろうという現在でも元気で明るい。「パパイはお酒が好きでね。隠しても見つけて飲んでしまうんですよ」。娘のジュリアさん(73)を通じて懐かしそうに昔を振り返る。「年を取ると、足が痛くて」と足の付け根をさすってみせるが、階段の上り下りも達者だ。
 健康の秘訣は早寝早起きと昼寝。それから動くことだとか。「皆に大事にしてもらって喜んでいますよ」とジュリアさん。「これで電話でもできるようになったら楽しいのに、とも言いますね」。
 現在は別の娘の家に滞在しながら、週末には野菜作りや花栽培を楽しみにしているという。縫い物も趣味のひとつだ。「苦労もあったけど、耳が聞こえなくてよく七人の子供を育て上げたなと思います」。トキエさんの傍らでジュリアさんが語る。
 六世の誕生については「孫も曾孫も同じように思っているみたいですよ」。
 ジュリアさんのご主人、竹内光次さん(78)の両親も鹿児島出身の笠戸丸移民だ。父親の竹内喜左衛門氏は戦前のカンポ・リンポ邦人入植の草分け。農業とともにレンガ工場の経営にも取り組み、その名は現在のタボン・ダ・セーハ市に「エストラーダ・キザエモン・タケウチ」として残る。光次さん自身、同市の市議、副市長を務めた。
 「こんなふうに五世、六世になると分かっていたらおじいちゃんたちにもっと話を聞いていたんですけどね」と語るのはトキエさんの孫ネウザさん(54)のご主人、中村オサムさん(63)。中村さんたちの娘、五世のバネッサさん、その妹のメリッサさん、クラリッサさんらは三人とも日本語教育を受けた。裕太君にも日本語を勉強させたいという。「日本語は大事ですからね」。
 娘一家がインテリオールに、孫一家が日本に住む以外は、ほとんどの家族がサンパウロに暮らしている。娘に孫に曾孫に玄孫。「しょっちゅう誕生日を祝っていますね」。皆が笑った。

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