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交流センターと=人材育成の節目=鳥取県人会=記念式典であゆみ回顧=3百人が出席=出納長、県議長も

2005年11月23日(水)

 ブラジル鳥取県人会(加藤恵久会長)のブラジル・鳥取交流センター開設十周年、および県費留学生・技術研修員事業四十周年の記念式典が二十日、サウーデ区の同センタ―で開かれた。「県人の交流」と「人材の育成」の二事業の節目にあわせ、母県からは三十人の慶祝団が来伯。式典には約三百人が訪れ、開設当時の思い出や研修制度四十年のあゆみを振り返った。
 同センターの完成は一九九五年。建設にあたっては橋浦行雄元会長、西谷博前会長らが母県を訪問。県、市町村の援助を得て開設が決まった。
 竣工式には西尾邑次知事(当時)も出席。以来十年、現在センターでは三十以上の文化講座を実施するなど、県人会の枠にとどまらず広く利用されている。
 式典にあわせ、母県からは青木茂出納長など県関係者、前田宏県議会議長はじめ県議七人、ブラジルゆかりの人で組織する鳥取ブラジル会、鳥取ブラジル友好協会の一行などあわせて三十人が来伯した。
 県と県議会の一行は着聖後、鳥取県海外協会が開設した第二アリアンサ移住地を訪問。地元の人たちと交流したほか、移住地内の農場などを視察した。
 式典には丸橋次郎サンパウロ首席領事や日系団体代表、日系サンパウロ市議などが来賓として出席した。
 先没者へ黙祷を捧げた後、加藤会長があいさつ。県人会の拠点として一週間に約七百人が同センターを利用している現況を説明し「十年が過ぎ、県庁や議会、県民の皆さんにもう一度お礼を申しあげたい」と謝意を表した。
 会長は自身がふるさと創生事業で訪日した経験を振り返り、研修制度の継続を要望。訪問団一行に「帰国したら県人会のこと、頑張っていることを県内に知らせてください」と呼びかけた。
 片山善博知事の代理として祝辞を述べた青木出納長は、約二千二百五十人の県人移住の歴史に触れ、先人の苦難を偲んだ。さらにセンターが会活動、母県交流の拠点となったことに「意義の大きさを実感しています」と語り「距離は離れていますが、各種事業を通じて県人と県人会の心のつながりは近くなっていると確信しています」と述べた。
 前田議長は第二アリアンサ訪問を振り返り「埃まみれ、汗まみれになって、当時の政策がいかに大きく重要だったかを感じました」と印象を語った。「そういう尊い歴史があったからこそ、センターを望む声が県行政の中で実現したのだと思う」と語り「これからも県人会と母県の心の拠点として利用されることを願います」と言葉を贈った。
 来賓祝辞に続き、建設当時の県出納長だった西原昌彦さんが、視察でサンパウロを訪れ知事に会館新築を提言したことなど、開設の思い出を披露。続いて県の農業指導課長として留学生受入れに携わった西尾迢富さんが研修制度の歩みを振り返った。
 県人会の留学・研修制度は六四年の知事来伯をきっかけに六五年に始まり、現在までに百二十三人が母県を訪れている。
 式典では、県費留学生OBのエレーナ・ミチコ・ヤマシロさん(七四年、心理学)、ヴァルデマール・ミツノリ・イワモトさん(七九年、産婦人科)がそれぞれあいさつに立ち、日本で学んだこと、母県の生活の思い出などを語った。
 ヤマシロさんは息子のウーゴさんと親子二代の留学。出席できなかったウーゴさんに代わりメッセージを代読した。県関係者に謝意を表わしたウーゴさんは「(留学は)三世四世が日本の文化や歴史を知るチャンス」と語り、自身の経験を通じ「日系であることに誇りを感じた」と語った。
 県人会から片山知事など県関係者八人への感謝状が贈られた後、県から県人会に故郷の山・大山の風景を描いた記念絵画を贈呈。県から日系三団体へも記念品が贈られた。
 県民歌「わきあがる力」を合唱の後、ケーキカット。昼食後のアトラクションでは、郷土芸能の傘踊りや銭太鼓のほか、ダンスやコーラスなど、現在県人会で行なっている文化サークルの人たちが練習の成果を発表した。訪問団一行も歌を披露。多彩な催しに会場は終日にぎわいを見せた。
 最後に出席者全員で「ふるさと」を合唱。歌が終わると、会場から自然と「万歳」「ビーバ」の声がわき上がった。

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