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不撓不屈で刻んだ70年(下)=パラグアイ日本人移住70周年記念式典=ニカノル大統領「日本を目指したい」

2006年9月13日付け

 ニカノル・ドゥアルテ・パラグアイ共和国大統領の到着を待って午前十時半から開催された記念式典の会場には、移住地からの出席者を中心に、国外からはウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリヴィア、日本など、約一千二百人が集まった。
 大きな拍手で迎えられたニカノル大統領と山中政務官を壇上に迎え、国歌斉唱に続き、来賓の紹介が行われた。
 小田祭典委員長は日西両語であいさつ。「パ国官民、日本からの支援もあったが、移住者たちの血と涙と汗をもって日系社会の礎は作られた。『日本人が来てよかった』と思われるよう努力し、二つの母国の繁栄を祈念したい」との堂々とした式辞に会場からは大きな拍手が送られた。
 山中政務官は、今回の式典に秋篠宮殿下の来パが検討されていたが、紀子妃殿下の出産の関係で見送った経緯を説明、十月末の訪問が決定したことを報告した。
 続いて、「鬱蒼たる原始林を大和魂、開拓精神で克服し、現在を築いたことに敬意を表したい」と話し、パ国官民の支援に対し、謝意を表わした。
 ニカノル大統領は、「多くの犠牲を払った移住の歴史のなかで、農業だけでなく文化面でもパラグアイに溶け込み活躍している」と評価、日本政府からの経済的支援などにも触れ、「パラグアイも日本を目指したい」と希望を話した。
 松本有幸JICA理事は「生活環境整備、教育文化、医療衛生、営農改善などに対し、経済技術協力を通じ、日パ両国の友好親善の促進に務めたい」とこれからの具体的な支援策を述べた。
 続いて表彰に移り、外務大臣、在外公館など各表彰が行われ、初年度移住者、高齢者、戦前移住者、スポーツ・文化・教育関係者らに対し、功労賞が贈られた。
 同国では日本人移住節目の年にあわせ、蝶々がデザインされた記念切手を発行。式典会場で発行式が行われた。中央郵便局のアティリオ・ビエラ局長は、「この切手によって世界中にこの歴史が知られれば」とあいさつした。
 祝賀会では、田岡功・駐日パラグアイ全権大使、筒井敏行(香川)、土森正典(高知)両県議会議長、武田政義(兵庫)出納長らが祝辞を述べた。
 ピラポ音頭、鬼剣舞、日舞など各移住地の代表者が日頃の成果を披露、会場からは温かい拍手が送られていた。
 一九三六年のラ・コルメナ初入植者で、現在も同地に在住、パ国日系社会と共に人生を歩んできた関実五郎(79)、淳子(71)夫妻も会場に姿を見せた。
 「開拓精神が強かった父、奈良米蔵が切り開いた土地を守っている」と淳子さん。「ジャングル開拓から始まったけど、いつの間にか七十年」と実五郎さんは、笑顔でその歳月をかみ締めていた。

資金はコロニアの浄財で

 パラグアイ七十周年記念事業は、式典と記念誌の編纂の二つに絞られた。式典には五万ドル、来年五月の刊行が予定されている記念誌には、十万ドルの予算が組まれた。
 これらの費用は連合会の千二百会員が四年間で積み立てたものに加え、五十周年祭の剰余金、パラグアイ国内の個人、企業からの寄付、JICAからの助成金、日本からの寄付各一万ドルで賄われた。日パ政府からの援助はなく、日系社会の浄財によるものが大きい。
 決して大きな事業ではないが、パラグアイ日系社会の結束力を見せた結果といえるだろう。
 小田祭典委員長は式典終了後に取材記者に話した。 「自分たちのキャパシティーをつかんで、地味でもいいから地に足をつけてやれば、周りがチャンスを与えてくれるんですよ」

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