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大耳小耳

2006年12月20日付け

 七〇年代からコロニア向け日本料理店が最盛期を迎え、九〇年代にはブラジル社会向けがそれを凌駕するようになった。森幸一USP教授による調査「〈食〉をめぐる移民史─戦前・戦後の都市における食生活」によれば、リベルダーデ周辺の日本料理店の数は七九年に二十八店に対し、ジャルジンス区などサンパウロ市南部を中心とした地区はわずか十三店だったが、その割合が九〇年頃に逆転する。森教授は「日本料理の革新は常にリベルダーデの外で起きる」という。創作和食という革新の境地に進んだ「木下」。南部への移転で、本来の場所へ落ち着くことになるようだ。
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 先日サンパウロ柿生産者協会が主催した種無しぶどうの栽培説明会で、ある日系農家を訪れた際、ぶどう畑が一面、薄黒い網で覆われているのが目に入った。ハエ、コウモリなどのほか、時折降ってくる雹(ひょう)に実を傷つけられないようにするためだ。この網、害虫などはしっかり防ぐことができるようだが、収穫を控えたころ、夜中にこっそりとやってくる果物泥棒にはお手上げだとか。「動物や虫ならまだしも、農家の汗水の結晶をごっそり盗んでいくなんてなんとも許せん話」と、ある参加者の声。
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 三十二年間続く松柏学園と大志万学院の訪日使節団。男女二十一人の生徒達は、日本滞在中、親族との電話連絡は禁止だという。「この年頃というのは、心で感じるもの。親元を離れて親の大切さを感じてほしい」と川村真由美校長。さらに一人一人に責任感を持ってもらうため、団長・副団長のほか、会計、総務、写真係、服装係、お土産係、組み分け係まで、それぞれに当番が割り当てられるそうだ。

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