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コラム 樹海

2007年2月8日付け

 その時、四十人あまりの記者団はテレビカメラやマイク、録音機を持ったまま一斉に走り始め、何かを取り囲んだ。灼熱の日差しのもとコラム子も駆けつけると、輪の中心には、マイクやカメラの放列に囲まれて桧垣ミウトン被告が呆然とした表情で立ちつくしていた▼サンパウロ州ジャバクアラ裁判所の前には四十人あまりの日本の取材陣と、有名レポーターのレオノア・パスコアウを筆頭にしたバンデイランテスTV局などが、被告の出廷を今か今かと待ちかまえていた。裁判後の会見ではSBT、RECORDなどのTV局も集まった。このブラジル取材陣を見て、国外犯処罰問題は新しい段階に踏みだしたなと実感した▼今までは日本側の一方的な過熱報道ともいえる状態だった。日本では連日やんや報道されても、容疑者の隣人は何もしらないという、ちぐはぐな状態だった。これからは違う▼桧垣容疑者はこの騒ぎに、さぞや驚いたことだろう。自分に突きつけられたマイクやカメラを、刃物のように感じたかもしれない▼おそらく、この報道に接して最も肝を冷やしたのは、他の逃亡犯ではなかったかと思う。ブラジルも安住の地ではなくなったと感じたに違いない。国外犯処罰裁判は、ブラジルマスコミが報じてこそ、帰伯逃亡者に対しての抑止力となる。隣人が知らなかったからこそ、今までのうのうと暮らすことができた▼日系人が「日本での差別が怖くて逃げ帰った」と弁明するこの件を、ブラジルメディアがどう報じ、一般国民がどう受け止めるか。百年に一度の慶事を翌年に控え、日系社会はまた一つ複雑な課題を抱えた。  (深)

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