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コラム 樹海

2007年7月5日付け

 かつて、リベルダーデ界隈だけで十三軒もの日本語書店があった。先日、太陽堂書店の藤田芳郎社長(87)と話していて、「一九五五年から六五年が全盛期でした」と聞き、寂しい思いをした▼藤田さんは福島県白河市出身で、三四年に十四歳で移住した。北パラナのアサイにあった兄の農場に入ったため「戦前だがコロノ経験がないんですよ」と笑う。十八歳で出聖、戦争中に会計士学校に通った。「敵性国人だったけど誰にもいじめられたことはなかった」と振り返る▼ただし、通学のかたわら、ブラジル政府から強制清算させられている最中の蜂谷商会に勤めていた。コンデ街周辺からの強制立ち退きも目の当たりにした。「一文の補償もなかったですよ」▼終戦直後の四六年一月の卒業式で、パラニンフォ(介添人)がした「ブラジルには宗教、人種の差別はない。善良な人間か、善良でないかの二種類の人間しかない」とのあいさつを聞き、戦時下を堪え忍んだ後だっただけに、思わず涙を流した▼この六日に息子の招待で訪日し、インドネシアまで足を伸ばすという。長男のエジムンド氏は二年前から駐インドネシアブラジル大使として赴任。「見に来てくれって何度も言うんですよ」と破顔一笑▼邦字紙、日本語書店、日本語学校には日本語を基礎にしているという共通点がある。四月に高野泰久さん(高野書店店主)の訃報を聞いた時、「また一つ日本語の灯が…」と暗い気持ちになったが、今週、未亡人の政枝さんから「長男が助けてくれるというので続けることにしました」と聞き少しほっとした。まだまだ日本語の灯は続いてほしい。(深)

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