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各国社会の現状と将来~海外・汎米合同大会を振り返る~=連載《1》=インドネシア=残留日本兵の「存在と心」伝え=サントソ・衛藤さん=日語教育大事に

2007年8月3日付け

 七月十八日から二十一日までの四日間、初めてとなる海外日系人大会・汎米日系人大会の合同大会がサンパウロ市で開催され、世界十七カ国から約五百人の日系社会関係者が来聖した。期間中は、海外日系人大会の代表者会議のほか、汎米日系人協会による十一の分科会も開かれ、日系社会をめぐる多様な問題について各国代表が意見を交換、相互の親睦を深める機会となった。普段触れる機会の少ない他国日系社会の表情。分科会とあわせ、その一部を紹介する。
 「次世代に残留日本兵の存在と心を伝え、日系人として向上心の志と誇りを持ち、日本とインドネシアの友好の掛け橋となる」
 先日サンパウロで開催された第四十八回海外日系人大会でインドネシア代表のヘル・サントソ・衛藤さん(47)は、そんな認識と将来への挑戦を発表した。
 来年日本との国交樹立五十年を迎えるインドネシア。現地日系社会の現状を聞いた。
 サントソさんが〇〇年から理事長を務める福祉友の会(登録会員数二千五百人)は敗戦後、インドネシアに残留し、オランダからの独立戦争に参加した元日本兵により、情報交換・相互扶助を目的に七九年に設立された。
 当初は二百五十人の元日本兵がいたが、現在は六人。二世を中心に四世まで登録会員がいる。
 他国同様、日系社会離れは激しい。「『この会は何のためにあるの?』と聞かれることもある」と苦笑する。
 ヘルさんによれば、同国の日系人は約三千人。
 五八年、日本との国交が樹立されたことを機に設けられた留学制度により、知り合い、国際結婚した日本人約二百五十人がおり、この子弟も日系社会を構成する一角をなしているという。
 両国の親善・友好を深めるためには日本語は必須との考えから、同会は日本語学校「ミエ学園」を経営しており、六十八人の日系子弟、現地人が日本語を学んでいる。
 国際的に人気の高い観光地でもあるバリ島には、補修校を設置。一千五百人を超えるという邦人の子弟(国際結婚を含む)約二百人が学んでいる。最近では、バリでも日本語能力検定試験の受験が可能になり、日本語熱が高まっているようだ。
 ミエ学園は昨年、高知県の明徳義塾高校と姉妹校提携。今年初めて留学生を派遣するなどしているが、全体的に見れば、「(日系人でも)日本語を学びたいという人は少ない」。
 日系企業も現地採用条件に日本語を必要としておらず、「経済的に厳しい家庭も多い」からだとヘルさんは説明する。
 しかし、近い将来、日本政府と経済連携協定(EPA)が調印される見込みでミエ学園への期待も高まりそうだという。
 ヘルさんは二十歳のとき初訪日、神戸商科大学に七年間留学した。そのとき先祖の地、大分県に墓参りした。
 「日本に行ってなかったら、この場所にもいないですよ」というように、インドネシアの日系人が父祖の地日本を訪ねることが大事、と考えている。
 同地日系人は、同じアジア人のため、見た目で差別されることはないが、それだけに日系人としての認識を持つことはあまりないようだ。
 小さい頃は、日本人の子供ということで苛められたこともあるというが、「元日本兵の親父が怒って怒鳴り込んで以来なくなった。元憲兵だったし、命かけて残ったわけだから恐かったね」。インドネシア政府から、〃ゲリラ勲章〃も受けたという父は現在、ジャカルタ郊外の国立カリバタ英雄墓地に眠っている。
 ヘルさんは、インドネシア日本友好協会の事務局長も務める。来年日本との国交樹立から五十年を迎えることから、身の回りが慌しくなってきた、と笑う。
 「これからも日系人としてのアイデンティティを持ち、インドネシア国家に貢献する人材の教育・育成を続けて行きたい」と笑顔を見せた。(つづく)

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