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コチア先亡者へ永久の祈り=下元健吉没後50周年=慰霊ミサに百人近く参集=「胸像もう一回作る」との声も

ニッケイ新聞 2007年9月25日付け

 「コチア創立者、職員、そして今年没後五十周年を迎える下元健吉氏のために祈りましょう」――。二十二日午前、サンパウロ州コチア市のポルトン教会で行われた慰霊ミサで、フラビオ・ソアレス・ロペス司祭はそう呼びかけ、天を仰いだ。下元氏の命日である一九五七年九月二十五日の翌年からコチア産業組合の職員らを中心に始まり、現在ではコチア青年らと一緒に行っているこの慰霊ミサ。近年では最も多い百人近くが参集し、先没者の遺徳を偲んだ。下元家を代表してあいさつした下元慶郎氏は「亡くなったコチア関係者に対して、我々はミサをする義務がある。その魂に永遠に祈り続けなくては」と語り、感謝の言葉をのべた。
 午前十時から始まったミサは、荘厳な雰囲気の中で進められた。二階から教会合唱隊の賛美歌が響き、厳粛な顔をした参列者は司祭の言葉に耳を傾け、思い思いに祈りを捧げた。コチア青年連絡協議会、コチア旧友会、コチア組合清算委員会の共催。
 約一時間のミサのあと、没後五十周年を迎えた下元氏の功績を振り返り、代表者がマイクを握った。
 瀬尾正弘(コチア青年一次五回)さんは、一九五六年に渡伯、何度か下元氏の講演を直接聞く機会があった。「無から有を生じるのは並大抵のことではないぞ」とこんこんと諭したという。「コチア青年への影響は凄かった。年が経つにつれ、下元さんの凄さが身にしみるようになってきた」などと語り、最後に「コチアの仕事はブラジル農業の革命だと思っている」と結んだ。
 コチア青年協議会を代表して山下治会長はあいさつの中で、「今後もブラジル社会で日系人としての誇りを高めたい」との意気込みを新たにした。
 旧友会顧問、九十三歳の志村啓夫さんは「あと十五年、下元さんが生きていたらコチアはこんなことにならなかった。偉大な人だった」と顕彰した。
 下元家を代表して慶郎さんが返礼に立ち、「今回は特別にたくさん来てもらってありがたい。彼も喜んでいるでしょう」とのべた。
 司会を務めた旧友会の真里谷ドミンゴス会長は「大事なミサの直前に、下元さんの銅像が盗まれたのは本当に残念だった」と先週の事件を振り返り、「今後の対処をみんなで相談していきたい」とした。
 一堂はサロンに移動し、軽食を食べて思い出話に華を咲かせ、すぐ近くにある、高知県伊野市との姉妹都市友好庭園に移動した。コチア創立組合員記念碑を挟むように置かれた下元氏胸像とフェラース理事長胸像は、台座だけが鎮座。痛々しい雰囲気の中、一堂は次々に敬虔な面持ちで献花した。
 ミナス州カンブイから参加した白浜清俊さん(68、二次六回)は「コチアが潰れたことで、下元さんには申し訳ない気持ちで一杯だ」と花を捧げた後の心境を語った。
 旧友会の古参、高柳清さん(85)は「今回のミサは今までで一番多い」と喜びつつ、胸像に関しては「もう一回作らなきゃいかん。このまま置いとくわけにはいかん」と語った。
 当日は、下元氏が創立に深く関わった南米産業開発青年隊からも長田誉歳、早川量通両副会長が参列した。

明日から下元連載を開始=「傑物」の知られざる光と影=本紙プレ百周年特別企画

 日伯交流年(日本移民百周年)開始まであと三カ月あまり。いよいよ歴史的な節目が迫ってきた。日系人がブラジル社会への貢献は多岐や分野にわたるが、とりわけ農業分野においては特筆すべきものである。
 なくなったとはいえ、コチア産業組合はブラジル農業界に大きな足跡を刻んだことに間違いはなく、今も切り離された幾多の地方農協が活発に活動している。まるで熟した果実が樹木から自然に落ち、あちこちに新たな芽を出しているように見えないだろうか。
 農業界の象徴的人物として、本日二十五日に五十周年忌を迎えた下元健吉を取り上げ、外山脩氏に連載「コチア産組=新社会建設=創立者の光と影」を依頼し、明日二十六日付けから第五面で掲載を開始する。
 今連載では、下元を巡る様々な意見を丹念に集め、「アンチ派」「敬遠派」「敬愛派」の三つの角度から、その傑出した人物像を多角的に浮き彫りにし、県人性と組合のあり方などに深くメスを入れた。これを機に、さらに日系人のブラジル社会への貢献に光が当たることを期待したい。(編集部)

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