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百周年サッカー大会無事閉幕=ニッポン・カントリー=日伯6チームが交流深める=羽黒高校は3位に入賞

ニッケイ新聞 2008年1月31日付け

 百周年を記念したサッカー大会「Torneio Centenario da Imigracao Japonesa」が二十五、六両日、アルジャ市のニッポン・カントリークラブ(栢野定雄会長)で実施された。百周年・交流年で最初のスポーツイベントとなった同大会。山形県の羽黒高校と、サンパウロ市・近郊のユース五チームが出場し、試合を通じ交流を深めた。
 百周年記念協会が主催、同クラブと聖西日本語教育連合会が後援。二十五日午前八時半過ぎから行なわれた開会式には、上原幸啓百周年協会理事長、佐藤吉洸聖西日語連会長はじめ多数の来賓が訪れた。
 日伯両国旗を掲げて並ぶ選手を前に、栢野会長は「百周年最初のイベントであるこの大会に参加できることを誇りに思う」と述べ、羽黒高校はじめ参加チームを歓迎。「試合を通じて友情を深めてほしい」と呼びかけた。
 上原会長は、近代オリンピックの創立者クーベルタン男爵の言葉を引き、「試合だけでなく、百周年に参加することが重要」と強調。佐藤会長も「日伯の架け橋になるよう交流し、思い出を作ってほしい」と選手に語りかけた。
 国家斉唱に続き、大会開幕。クラブ内の三つのコートで二十五分ハーフの総当たり戦を行なった。クラブ関係者なども応援に訪れ、声援を送った。
 今年の全国高校選手権にも出場、十二日からリオのジーコ・サッカースクールで練習後、帰国前に大会に臨んだ羽黒の十四選手は、正確なパスワークで試合を展開し、中でもサンパウロとの試合では十対〇と大勝した。
 「息子が見たいというので一緒に来た」というサンパウロ市在住の男性(50代)は、初日の羽黒―サンカエターノ戦を観戦。「やっぱり羽黒はうまいね。早いし正確」。大会中、選手の一人が鎖骨を骨折するアクシデントもあったが、三年生の坂本昌平選手が通算五点で得点王を獲得した。
 二日間の大会の結果、優勝はニッポン・カントリークラブで四勝一分、二位がコリンチャンス(同)。羽黒は三勝二敗で三位に入賞した。(以下、アセンボ、サンパウロ、サンカエターノ)。百周年協会から記念トロフィーのほか、選手に記念メダルが贈られた。
 羽黒の本街直樹監督は「結果に不満足の部分もあるけど、少ない人数でよく頑張った。環境も良く、楽しい大会だった」と大会を振り返る。
 リオ出身、フラメンゴやフルミネンセ(ユース)などでフィジカルコーチを務め、〇一年から羽黒で指導するジェロニモ・バスケスさんも「ケガ人が出たのは残念だけど、百周年記念の大会に参加できたことを誇りに思う」と話していた。
 二十六日夜には、聖西日語連により、同日帰国する羽黒チームの歓送会が開かれた。
 羽黒の全試合を観戦した同会の斉藤政雄さんは「体格的には劣っていたけど、スタミナがあった。真剣にやっていたのが印象的だった」とその健闘を称える。遠藤健吉相談役も「暑くもなく、運動日和の天候に恵まれて良かった」と満足そうな様子。国井精名誉会長は「ケガ人が出たのは残念ですが、それ以外は最高の大会でした」と感想を語った。

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