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「百年の知恵」=日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る=□第2部□2世世代の特殊性(9)=「日本で生まれたブラジル人」=上原幸啓さんの場合

ニッケイ新聞 2008年4月3日付け

 「ルーラ大統領、私は日本で生まれたブラジル人です」。百周年記念協会理事長の上原幸啓さん(80、沖縄県出身)は、一月十七日に行われた連邦政府主催の百周年開幕式典で、そう自己紹介し、全伯の日系コミュニティを代表してポ語で挨拶した。
 今まで紹介してきたようなバイリンガル的視点で人物像を見てみると、その言葉の意味の深さが分かる。
 もちろん、上原家では日本語で母語形成したに違いない。八歳で親に連れてこられ、船上で九歳を迎えた。先に渡った兄たちが農業を営んでいたため、上原家には幸啓さんをサンパウロ州オリンピア市の寄宿学校に入学させる余裕があった。厳格なブラジル人教師がいる寄宿舎学校という完璧なポ語環境は、日本語から第一言語を切りかえる上で理想的な環境だったのだろう。
 戦前の移民子弟の多くは、日系寄宿舎などで日本語をおぼえたが、その逆パターンといえるだろう。
 一九四一年に真珠湾攻撃が起きたとき、幸啓さんは十四歳になってわずか十日ばかりだった。最も多感な思春期を、戦時下の排日機運が強い中で過ごし、そこで人格形成をしたようだ。
 つまり、日本語で母語形成しているが、少年期から完全なポ語環境に強制的におかれ、青年期に「ブラジル人」としての人格を完成させた。日本語から乗りかえる間は、人知れず大変な努力があったに違いない。
 親兄弟の期待に応え、USP工学部に入学し、そのまま学究生活に入って、生粋のブラジル人でも難しいUSP工学部教授として半世紀も君臨し、「優秀なブラジル人」として完璧な履歴をもつ。
 ポ語で経歴を築いてきたのだから、そちらの方が得意なのは自他ともに認めるところだ。人格形成に関しても当地の考え方、世界観を生粋のブラジル人以上に磨いてきたに違いない。
 〇三年に文協会長に就任して以来、日語のあいさつ文はふりがな付き。しかも一世に代筆してもらった文章を丁寧だが、棒読みしている。かつて二世文協会長もいたが、みな日語の読み書きが得意だった。
 しかし、日本語のあいさつの後、ポ語でやる。こちらは日本語とはまったく異なる内容、本当に自分が主張したい内容を、何も見ずにとうとうと語り、実に気持ちがこもっている。
 二言語をほぼ同能力で使いこなせるごく一部の高度なバイリンガル話者は別だが、たっぷりの情感を込めてしゃべることができるのは第一言語だけだ。
 アイデンティティは社会的影響や、本人の考え方によって形成される。「日本で生まれたブラジル人」という意味を、逆にとれば、「ブラジル人になった日本人」とも言えるだろう。
 一月のブラジリア式典で上原さんは、日本で生まれた少年がいかにブラジル人になったかを、とうとうと語った。生粋のブラジル人よりも純粋かつ強い愛国心を表明する姿に、感激屋のルーラ大統領は目を潤ませたような表情を見せ、上原理事長に握手を求め、強く抱擁した。「自ら求めてブラジル人になった」人物以上に、この移民大国を象徴する人材はいないだろう。
 ブラジル生まれだが日本人ばかりの植民地で育って日本語の達者な二世と、日本生まれだがこのような経歴を持つ幸啓さんを比べた場合、その対比は興味深いものがある。
(つづく、深沢正雪記者)



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