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【特集】ブラジル岩手県人会創立50周年=記念式典で4百人が祝う=県議会議長「万感胸に迫る」

ニッケイ新聞 2008年6月28日付け

 ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)創立五十周年記念式典が六月十五日午前、聖市のブラジル日本文化福祉協会の大講堂で盛大に開催された。県人会会員はじめ、県庁、県議会、賛助会慶祝団、岩手郷土芸能団、盛岡山車推進会、ニューヨーク、アルゼンチン、パラグアイ県人会代表ほか、日系団体の代表者ら四百人以上が駆けつけ、半世紀の節目を祝福した。日本時間十四日朝に起きた岩手・宮城内陸地震対応のため、達増拓也県知事と高橋由一金ヶ崎町長が前日夜に緊急帰国したが、式典は移民百周年の年にふさわしく、母県と県人会の更なる相互交流を誓いあう記念すべき日となった。
 真紅のどん帳が開くと同時に、式典舞台上にずらっと並んだ来賓が姿をあらわした。会場は大きな拍手をもって歓迎。多田マウロ副会長の開会の辞、州軍警楽隊伴奏の日伯両国歌斉唱に続いて、先没者へ黙祷を捧げた。
 千田会長のあいさつに続いて、達増知事を代理して祝辞を述べた岩間隆NPO・文化国際課総括課長は、日本人移住者の努力に敬意を示すとともに、「我々も先人が育んできた文化や心、そして草の根の地域をつないできた結いの精神をはじめとした岩手に潜在する力を生かしながら、県勢の発展に努める所存」と誓った。
 「本日万感胸に迫りながら創立五十周年を迎えた」と述べたのは渡辺幸貫県議会議長。同県出身の歌人・石川啄木の歌を引用したうえで、「ふるさとを想う心はどんなに離れていてもなくならない」とあいさつ。先達移民の苦労にふれて「柱と屋根葺きの質素な家に暮らし開拓に挑んだことに想いを馳せると、涙を禁じえなかった時代だった」とし、「ブラジルの日本人の方々には現代の日本の日本人が失いつつある道徳観や人への接し方を持っている。それを岩手に持ち帰りたい」と語った。
 西林万寿夫在聖総領事は、外務省の後輩にあたる達増知事と再会するのを楽しみにしていたが、実現できなく残念と切り出したうえで、同県人会の熱心な文化活動を評価し、「七月の日本祭りで盛岡冷麺を出品されるそうで、個人的にも大変楽しみにしている」と話した。
 セーラ聖州知事とカサビ聖市市長の祝辞をウイリアム・ウー連邦下議が代読、慶祝団一行を歓迎した。
 大石満雄花巻市市長は、岩手県人会創立の歴史を降りかえったうえで「岩手県人会会員の岩手を想う気持ちにまったくの疑いはない」と強調。「四世、五世へと更なる県人会の発展を祈念したい」と語った。
 園田昭憲県連副会長の祝辞に続いて、同県人会の南部利昭名誉総裁(靖国神社宮司・旧南部家四十五代当主)は、同県出身の画家・橋本孜(つとむ)さん作の岩手山の絵画を、九八年に県人会に寄贈したことなどを紹介したうえで、「ブラジルと岩手が互いに手を取り合い、友好親善を深めていくことを祈りたい」と述べた。
 今年創立十周年を迎えたニューヨーク県人会の岩崎雄亮会長は、「歴史あるブラジルの岩手県人会に今後も多くのことを学ばせて頂きたい」とした。
 藤村光夫副会長による祝電披露に続き、慶祝団や来賓から日系三団体と県人会に激励金と記念品の贈呈があった。菊地義治援協副会長(同県一関市出身)が謝辞を述べ、県人会も賛助会、郷土芸能使節団、盛岡山車推進会の代表者を含めて、記念品を手渡した。
 続いて岩間NPO・文化国際課総括課長から、県人会功労者約二十人に一人ずつ感謝状が手渡され、大志田寿さんが代表して礼の言葉を述べた。
 花巻市で研修した〇三年県費留学生の阿倍アイレスさんは、「一年間父親のふるさとでいろんなことを学ばせていただいた」と涙に声を詰まらせてスピーチ。同制度に参加できたことを感謝し、来賓はじめ日伯両国国旗に深々と頭を下げた。
 式典後、大講堂入り口に席を移して記念祝賀会。来賓らによるケーキカット、南部美人五代目蔵元、菅原達郎さんの音戸で岩手の銘酒「南部美人」を鏡割り、乾杯した。県人会会員の思い出の写真も出身地別に展示され、出席者の注目を集めていた。
 午後には「憩の園」の入所者らを招待して、郷土芸能まつりを開催。IBC岩手放送の菊地幸見アナウンサーの司会で、工藤勲・盛岡山車推進会による音頭あげや岩手県人会太鼓「雷神」の演奏が披露され、会場を沸かせた。

【県人会創立50周年記念の一連の行事】
 六月十二日=郷土芸能使節団リオ日系協会で公演。
 同十三日=県知事、慶祝団など杉村公使墓碑整備披露ならびに墓参。郷土芸能使節団公演(サンベルナルド・ド・カンポ市)
 同十四日=渡辺幸貫県議会議長と郷土芸能使節団の慰霊碑参拝。午後六時から式典前夜祭「慶祝団との交流懇親会」を県人会会館一階ホールで開催。
 同十五日=県人会創立五十周年記念式典、記念祝賀会、郷土芸能祭り。
 同十六日=海外県人会サミット。郷土芸能使節団公演(サントス厚生ホーム)
 同十七日=郷土芸能使節団公演(アチバイア市)

 【歴代会長】
 初代=江刺家勝(1959―69年)
 二代=阿部尚(69―76年)
 三代=雫石正雄(76―77年)
 四代=吉田栄(77―80年)
 五代=村松吉次郎(90年)
 六代=菊地義治(90―98年)
 七代=千田曠暁(98―現在)

前夜祭=達増知事ら慶祝団を歓迎=前日の地震で急きょ帰国に

 「みなさま、お晩です」。聖市のブラジル岩手県人会館で十四日午後六時過ぎから、達増拓也県知事、渡辺幸貫県議会議長ら慶祝団一行の歓迎夕食会が行われ、知事がそう挨拶すると、駆けつけた県人会員の顔からは何とも言えない嬉しそうな表情がこぼれた。
 知事は、前日に起きた岩手・宮城内陸地震で死傷者が出るなどの被害があったために、翌十五日の五十周年式典には出席せず、急きょ帰国することになったと報告。
 「多くの県人からお見舞いや、激励の言葉をいただいた。今夜帰路につき、しっかりと県民に伝えたい。今回の地震で、海外の県人も心は一つだと思った」と語り、拍手を浴びた。
 さらに渡辺県議会議長に続き、南部藩四十五代当主の南部利昭・靖国神社宮司は「今後も手を携えて発展することを願います」との期待を寄せた。
 大石満雄・花巻市長は「たくさんの花巻の人から『ブラジルには知り合いがいるよ』と声をかけられてきた。遠いがつながりが深いところ」と語り、高橋由一・金ヶ崎町長も「私も今夜帰ることになったが、その分、全勢力をつぎ込んで今晩交流したい」と意気込んだ。
 続いて、今回四回目となる郷土民謡使節団がステージ上で披露し、集まった会員ら約百五十人が懐かしそうに聞き入った。
 当日はアルゼンチン、パラグアイ・ピラポ、米国ニューヨーク県人会からも駆けつけ、団結の強さを見せつけた。米国から初めて来伯した角地京子さんは「毎日のようにBRICS関連のニュースを見ているので、一度ブラジルに来たかった」という。勤務先のシティバンクの同僚にもブラジル人が七人おり、「彼らから日系人は優秀という噂を聞いている」と語った。
 九時過ぎまで歓談は続き、参加者は名残惜しそうに解散し、翌日の式典に備えた。

写真)左から南部宮司、千田曠暁(ひろあき)会長、立っているのが達増県知事、渡辺県議会議員ら

リオ=杉村公使墓碑の除幕式=「国際人としては本懐」

 ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)が整備を進めてきた盛岡市出身の初代ブラジル公使、杉村濬の墓碑の除幕式が十三日、リオ市ボタフォゴ区のサンジョアン・バチスタ墓地でおこなわれた。県人会創立五十周年と日本移民百周年の記念事業の一環。母県の慶祝団一行や県人会関係者など約五十人が献花・焼香し、日本人ブラジル移住の足がかりをつくった先人の遺徳を偲んだ。
 墓碑に掛けられた白い幕を、千田会長と達増県知事が除幕。杉村濬の孫、杉村新氏(東京在住)が寄せたメッセージを千田会長が代読し、達増知事が式辞を読み上げた。
 達増知事は「笠戸丸到着を見ることなく、心ならず他界した公使に哀惜の念に絶えない。公使がきっかけを作った日本移民はブラジル社会に大きく貢献しており、亡き公使も万感の思いであることと察する。在世中の功績に心から敬意を表するとともに、亡き公使には日系社会の発展を見守って頂きたい」と述べた。
 また報道関係者に対し、「(杉村公使は)故郷を離れて地球の裏側のブラジルに来た。そういう道を自分の道として選び素晴らしいことだと思う。異国の地でさぞ孤独な心情だったはず。しかし公使は今リオの人たちと一緒に眠っている。国際人としては本懐を遂げたのではないか」と語った。
 千田会長は「杉村公使は日系移民百年の歴史のきっかけをつくった人。私たち岩手県人にとって、『移民の父』は水野龍ではなくやはり杉村公使。その故人の偉業をあらためて称えたい」と決意を新たにした。
 杉村濬(1848生まれ、1906年没)=一九〇五年四月、第三代目駐ブラジル日本国弁理公使としてリオ州ペトロポリスに着任。フランス語にたん能な堀口九萬一書記官を起用し、その企画書に基づいてミナス州、聖州を実施調査。その有望性を認め、州当局とも直接に談合して日本移民導入の実現に向けて邁進した。移民賛成論を唱え、詳細な報告書を本省におくり、ブラジル日本人移民のきっかけをつくった。

絵本を寄贈する馬場さん=「子供に日本文化を伝えて」

 十年ほど前から五回にわたって子供向け絵本をブラジル岩手県人会に寄贈している馬場より子さん(65、盛岡市在住)も、慶祝団の一員として初来伯した。
 十年前にたまたま苫米地静子さん=パラナ州パライゾ・ド・ノルテ市在住=の本『良い思い出は温めて』を読み、「すごいショックを受けた」という。ブラジルでは子供向けの日本語絵本が手に入らないために二世、三世への日本文化普及が難しくなっているとの記述を読み、「お届けしたい」と思ったという。
 当時、幼稚園の教員をするかたわら、自宅で文庫をやっていた関係で「けっこう本があった」。たまたま菊地義治さん(当時の県人会長)と会う機会があり、実際に送ることになったという。
 菊地さんも「送ってもらって本当に良かった。利用度はとても高い」と感謝する。県人会図書室はもとより、文協図書館や地方文協にも寄付している。
 今までに送ってもらったのは段ボール箱十つ分にもなる。現在も「宮沢賢治全集」を送っている最中。
 馬場さんは「日本文化を広めるために、みなさんが努力している姿を実際にみることができて良かった」と微笑んだ。

写真)菊地元会長と馬場さん

「親睦が原点」ブラジル岩手県人会 会長 千田曠曉

 ブラジル岩手県人会創立五十周年記念式典を迎えるにあたり、岩手県から達増拓也岩手県知事はじめ、渡辺幸貫県議会議長、大石満雄花巻市長、高橋由一金ヶ崎町、南部利昭県人会名誉総裁。(南部氏は旧南部藩第四十五代当主で、現靖国神社の宮司)、岩手県議会議員ご一行、各界代表者のみなさまなど、多くの皆様のご臨席を賜り、かくも盛大に創立式典を開催出来ます事に心から厚く感謝申し上げます。
 岩手の先人・駐ブラジル日本国第三代「杉村濬(ふかし)」公使の導きにより、ブラジルへの第一歩を記した第一回笠戸丸移民から今年で百周年を迎えます。
 杉村公使は一九〇六年五月十九日、日本移民の到着を見ることなく急逝。今もリオ・デ・ジャネイロの墓地に眠っております。県人会では公使を「移民の父」と崇め、百周年特別事業として公使の墓碑整備を計画。さる十三日、達増知事はじめ、関係者を迎えて整備披露と墓参を行いました。
 岩手県人最初の移住者は大正十年に移住された、和賀町出身の武田貞吉氏で、本日ご遺族の栄一さんのご出席を頂いております。ありがとうございます。
 この大きな節目に、ブラジル県人会が創立五十周年記念式典を開催出来ます事は、先輩会員、歴代会長はじめ会員皆様方の「親睦を旨」とした原点を基に、郷土を思う「心」「努力」、また岩手県人の地道な「活動」から生まれた賜物と、深く感謝の念を表する者です。
 本日は、郷土芸能使節団や関係者の「いわて芸能まつり」もあり、皆さんに心ゆくまでご鑑賞頂き、心を癒して頂きたいと存じます。
 終わりに、ご列席頂きました皆様方に心から御礼申し上げますと共に、益々のご健勝ご多幸を祈念し、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう切にお願い申し上げ、ご挨拶と致します。

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