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1世から6世まで一堂に=聖市=最も歴史ある鹿児島県人会=8百人で創立95周年祝う=母県、南米から多数訪れ

ニッケイ新聞 2008年11月18日付け

 ブラジル鹿児島県人会創立九十五周年・県人移民百周年記念式典が、聖市モルンビーにあるクルーベ・パイネイラスで十六日午前十時から盛大に挙行された。会場は、かつて県人移民がジャガイモ栽培をしていたという縁の地。式典には伊藤祐一郎県知事、山田国治県議会副議長はじめ、母県からの計九十三人の友好親善使節団や、パラグアイとアルゼンチンの同県人会使節団、鹿児島県人会員らの家族など約八百人が出席した。また、初の六世で鹿児島にルーツを持つ大西エンゾ優太くん(3)も家族と共に参加。一世から六世までが一緒になって県人移民の労苦に思いを馳せ、「郷土愛」を胸に一致団結した。
 第一回移民船笠戸丸で移住した鹿児島県人移民百七十二人は、沖縄に次いで二番目の規模。移民開始から五年後には第一番目となる県人会を発足させ、「郷土愛」をもって同郷との繋がり、母県との繋がりを保ってきた。式典には薩摩隼人と薩摩おごじょが一堂に会し、創立九十五周年と移民百周年を盛大に祝った。
 楮畑孝夫式典実行委員長の開会の辞で式典が始まった。伊藤知事、山田副議長や川畑隆・鹿児島県海外移住家族会長、園田義人パラグアイ鹿児島県人会会長、加藤リカルド・アルゼンチン県人会長ら、またブラジル側は、西林万寿夫在聖総領事、園田昭憲・ブラジル鹿児島県人会長、池上忍同会名誉会長、上原幸啓文協会長、与儀昭雄県連会長らが壇上に上がった。
 園田昭憲会長は鹿児島弁であいさつ。先人に感謝を述べ、「築かれてきたものは私たちの財産であり、継承してゆくことが使命。本日を機に、母県と県人の繋がりを深め更なる発展を目指したい」と宣言。
 伊藤知事は「おやっとさま(鹿児島弁でお疲れさま)」と会場に言葉をかけ、「不屈の精神で多くの困難を乗り越えてきた方々は鹿児島県人として誇り。日伯一層の絆を深めるために県人会の役割を期待します」と祝辞を述べた。
 十五日付けで帰国令を受けた西林総領事は、「県人会の式典に出席するのは今日が最後と思うと感慨深い」と百周年を振り返り、「五年後の創立百周年には招待されたら世界のどこにいても大好きなサンパウロへ来たい。そして一緒に祝いたい」と話し、会場から大きな拍手が沸いた。
 そして、園田昭憲会長の兄、園田義人パラグアイ同県人会長は、「弟が大役をまっとうできるか心配していたが皆さんの力添えと協力で盛大に祝え、兄貴としてもとても嬉しく思っている」と熱く話し、園田昭憲会長と抱き合った。
 続いて、八十歳以上の高齢者や移住七十年になる県人、元県人会長の天達市雄さんや田畑稔さんらに表彰状と記念品、大西エンゾくんに記念品が知事から手渡された。また県人会表彰、記念品・祝儀贈呈が行われた。
 県費留学生・海外技術研修生の代表として内村カチア明美さんが、鹿児島県ブラジル研修生代表として齊藤直丈さんが謝辞を述べ、ケーキカット、小森広相談役の音頭で万歳三唱が行われ、式典が終了した。
 式典後は記念祝賀会が開かれ、鏡割、池上名誉会長の音頭で乾杯が行われて昼食が振舞われ、午後三時半過ぎまでカラオケ、サンバ・ショーで会場は盛り上がり、賑やかなうちに閉会した。
 五人の親戚で家族を構成し、坊津からモジアナ線のカフェ農園に一九三七年に入植した村上末さん(83)、瀬戸上はつ子さん(83)、花園いえみさん(82)も家族で出席していた。村上さんは、移民後も「村の人が多かったから心強かった」と振り返っていた。
 戦後移民の松村滋樹さん(66、日置市)は、「やっぱり同郷人と会うとなつかしさがこみ上げてくる。あつかぁね(熱いね)」と話していた。
 また、式典中、九十五周年記念郵便スタンプの発行セレモニーも行われ、最初の記念切手の上にスタンプが捺された。

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