ホーム | 日系社会ニュース | 百周年を肌で感じた1年間=鹿児島研修生3人が帰国=「行ってきます」と日本へ

百周年を肌で感じた1年間=鹿児島研修生3人が帰国=「行ってきます」と日本へ

ニッケイ新聞 2009年3月12日付け

 ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)の「鹿児島県農業・語学研修生制度」第九期生の三人、有島弥生さん(25、肝付町)、下松八重ひとみさん(同、鹿屋市)、上甫木久美子さん(かみほぎ、29、指宿市)が一年間の研修を終え、六日に帰国した。
 昨年三月上旬に来伯した三人は、それぞれ研修のほか、国内とパラグアイへ旅行研修などを行った。
 ニッケイ新聞社で九カ月秘書をした有島さんは、「百周年と県人会九十五周年に携われて良かった」と振り返る。また記者として取材も経験した。「楽しかった」と満足げ。「帰りたくない」と帰国を惜しむが、今後日本で身近な人にコロニアのことを伝え、「絶対また来ます」と話す。
 下松八重さんは「初めはやりたくなかった」という記者を十カ月、サンパウロ新聞社で経験。「いろんな人に会えて可愛がってもらえて、本当に楽しかった」と感謝を表す。
 一番忘れられないのは、サンボードロモで行われた百周年式典とリオでの式典でカメラマンとして取材したこと。百周年の感動を肌で感じたようだ。
 上甫木さんは東京外国語大学のポルトガル語学科卒。研修の目的は語学だったというが、日本食レストランで半日研修しながら、仲間もできて様々充実した一年を過ごせたという。
 初めは言葉で苦労したが、ブラジル熱はますます燃えたよう。「将来はブラジルに住みたい」と宣言し、ブラジルの懐の深さに、「ここは自分の可能性を引き出してくれる」と振り返る。
 三人の〃ブラジルの親〃である園田会長は、寂しいとしながらも、「ものすごい成長した。一回りも二回りも大きくなって、自信のある表情になった。ブラジルが大好きになって帰っていったね。あの三人はまた帰ってくるよ」と述べていた。

鹿児島県研修制度=「あと五年だけ」

 「あと五年。どんなことがあってもこれが本当に最後」。ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)の創立九十周年を機に始まり、次世代リーダーの育成と、ブラジルと母県との交流を目的に、五年間という期限付きで始まった「鹿児島県農業・語学研修生制度」。
 二〇〇八年度受け入れが最後となる予定だったが、昨年十一月に行われた九十五周年式典の際、来伯した伊藤祐一郎知事と園田会長らの懇談で、あと五年間継続することが決定された。
 同制度の運営資金は開始当初から園田会長が自費でまかなってきた。「人の子を預かるっていうのは本当に大変。自分も年だし、お金はいつまでも残らないから」と園田会長は冒頭のコメントに対してそう説明する。
 今までは、一年に約五人を受け入れ、研修費用を園田会長が払っていたが、これからは一年に二人、交通費や食費は研修先が払うことになり、園田会長は「若干のお小遣い」を渡すという。研修生は、その中から県人会館の宿泊費を払う。
 四月六日に、継続第一弾となる研修生二人が来伯する予定だ。

image_print