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新福祉センターで初シンポ=援協=創立50周年の記念行事=生田医師ら6人が語る

ニッケイ新聞 2009年12月10日付け

 サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)は5、6日に新援協ビル「社会福祉センター」で、創立50周年記念シンポジウム「日本移民の医療発展」を開催した。パラー州ベレン市から生田勇治医師をはじめ、各地の日系医師ら6人が講演。さまざまな視点からみた日系人を取り巻く医療の話に、2日間で約65人が聴講した。
 森口会長は開会のあいさつで、「日系医療組織として、コムニダーデにどのように利益を還元するか」と問いかけ、シンポを通じて参加者とともに考えたいとの思いを示した。
 初日に講演した汎アマゾニア日伯協会の生田会長(62、山形)は、昨年まで同協会傘下アマゾニア病院の院長を15年務め、現在も形成外科医として活躍する。「アマゾン日系医師の協力」をテーマに、今年80周年を迎えたアマゾン日本人移民の歴史を写真を使って振り返りつつ、その時代に活躍した医師の貢献を述べた。
 アマゾンへの入植の第一陣となった1929年9月。その20年以上前からペルー下りの移民が同地域に入っており、正式な移民が始まる直前の2月にはすでに、初めての診療所が開設されていたという。
 同地初の医師として東京大学卒の松岡フクユキ医師、助手、看護士の3人とブラジル人医師が活躍していたことに触れつつ、「うつ病、アルコール依存症など心理的な病気も多く、当初は悲惨な状態だった」。
 さらに「マラリア植民地」とも揶揄され恐れられた同地で、外務省留学医で日本病院創立にも尽力した細江静男医師、今田ツトム医師、戸田医師が巡回して、「多くの命を救った」と説明した。
 当初は日本からの派遣医師に頼っていた医療も、同州初の日系医師、戸田アルマンド氏を皮切りに現地の医師が誕生。2008年の統計では、パラー州全体で5622人の医師がいるうち日系は135、日本国籍者は17を数えるという。
 生田医師がメスを執るアマゾニア病院は、前身の同協会診療部が独立した形で65年1月に設立。現在の一日の利用者は450人程度で、その9割は非日系人だ。高齢者の受付けも増え、求められる医療内容が変化している現状や課題を説明。
 さらに医療保険、日本からの支援、医療団体登録などについて、出席した医療関係者らと活発な意見交換をして講演が終了した。
 その他、千葉トシオ医師による「日本文化での終末ケア―ブラジルの看護ケアの展望」、援協精神科医の中川デッシオ医師による「日系ブラジル人の高齢化とデカセギ者の動き」、南リオ・グランデ・カトリック大学院の老年医学研究者の森口幸雄教授による「移民者の健康の経緯―生活向上と長生き」など、6人が講演した。

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