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急速に広まる寿司刺身ブーム=料理界の論客4人が語る=コロニアからブラジル、そして世界へ

ニッケイ新聞 2010年1月1日付け

 ベージャ・サンパウロ誌08年6月4日号は、サンパウロ市の日本食レストランは600店もあり、シュラスカリアよりも2割も多く、一カ月間に1200万貫(カン)もの握り寿司が消費されていると推測する。20年前、これほどのブームを誰が予測しただろう。在聖総領事館と国際交流基金の共催により、09年6月17日から3週間にわたって行われた日本食講演会では、フォーリャ紙評論家ジョジマール・メーロ氏、ベージャ・サンパウロ誌編集者のアルナルド・ロレンサット氏、日本食レストラン「ジュン・サカモト」の坂本淳シェフがそれぞれ立場から日本食の変遷への分析を行った。それに同年10月27日の百周年評価シンポの日本食部門のレストラン「アイゾメ」の小池信也シェフの講演を加え、サンパウロ市の日本食最新事情とコロニアとの関係を探ってみた。

ジョジマール・メーロ=「日本は食に関して世界の孤島だった」

【フォーリャ紙食の評論家。92年から毎年、「Guia Josimar Melo」という表彰をサンパウロ市で行っている。90年代から「Boa Mesa」「Premio Brasil Gastronomia」などのブラジル食の国際イベントを設立する。ロンドンの雑誌「Restaurant Magazine」が主催する世界最良50店の南米部門の評価責任者】

 現在最良の評価を得ているスペイン料理、果敢に地位奪回を試みるフランス料理など激しい競争が行われる中、飲食店を星の数で格付けするガイド本「ミシュランガイド」東京版が08年に発行され、世界で最も多くの三つ星レストランのある都市として一気に有名になった。
 だいぶ前から世界の食の中心地では、あまたの国際的紹介イベントが熱心に行われ、外国への啓蒙が進んでいたが、今年2月、日本ではようやく「世界料理サミット2009・東京テイスト」が行われ、日本人以外誰も知らなかった世界最高の台所が、初めて海外に向けて開陳された。
 思えば私がサンパウロ総合大学(USP)の学生だった70年代、約35年前は、生魚を食べにわざわざリベルダーデまでくるのは変わり者だけだった。それぐらい日本食は好奇な、奇抜なイメージを持たれていた。
 サンパウロ市の日系社会は大きかったが、その頃はゲットー(閉鎖社会)のようなイメージだった。閉鎖的で混血も少なく、壁が高かった。我々のような〃食の冒険者〃の唯一のガイドは日本食レストラン店主の丹治三夫(みつお)さんだった。サンパウロ市の中心部にあるのに、まるで国境地帯にあるみたいだった。
 しかし、この40年でインテグラソン(統合)が進み、かつてそびえていた壁は消失した。
 同じように初めて訪日した95年、東京では深い失望を味わった。町に英語の表示がまったくなく、ほとんどのレストランでは英語が通じなかった。人々の対応はとてもよかったが、言葉の壁が高すぎる印象だった。でも、今回訪れた東京は別物だった。世界から有名シェフが招待され、それぞれが日本食からの影響を高らかに宣言した。
 15年前、温かい泡料理で世界の食通をうならせ、食文化に革命を起こしたスペイン人シェフのフェラン・アドリアは、その料理を完成させるまでに様々な食材を試したあげく、最終的に日本の伝統的な海草を採用したエピソードを披露した。
 また、フランス人シェフのジョエル・ロブションは、機械も用いずに低温で完璧なゆで卵を作るテクニックが、自分が生まれる前に日本で確立されていたことへの驚嘆を語っていた。
 Menu-degustacao(シェフのお任せコースメニュー)は、フランス人の発明した専売特許だと思っている人が多いだろう。それが有名になった1970年代の遙か昔から、日本には季節の最高の食材を用いて料理人が技を競い、順々に小皿が出される形式の懐石料理がすでにあった。西洋は日本のことをあまりに知らなかった。
 ブラジルなら50キロ、100キロ離れても同じ魚が出てくるが、日本では10キロ離れたら別の味になり、同じ場所でも2週間違ったら別になる。その違いが、料理人によってしっかりと価値付けされている。その食文化、伝統の全てが独特だ。
 すったばかりの生ワサビがチューブに入ったそれと別物であるように、繊細な日本食を、日本という土地から離れた場所で正統に再現することは不可能と言っていい。
 日本食の孤立はなくなり、文化混交が起きている状況は良いことだが、混ざりすぎるのは良くない。例えば日本は寿司、ブラジルはバナナだからといって、寿司バナナは良くない。
 固有の文化は、お互いの価値に敬意を払うことを求める。なんでも臨機応変にすれば良いわけではない。


アルナルド・ロレンサット=「違うから魅力的な日本食」

【ベージャ・サンパウロ誌編集者。マッキンゼー大学広告ジャーナリズム科教授。百周年を記念してサンパウロ市における日本食の変遷を記した本「Revolucao do hashi」(Editora Senac Sao Paulo)を刊行】

 笠戸丸は日本文化の種を播いたが、それ以前はどうだったか。1907年9月19日付けコメルシオ・デ・サンパウロ紙の紙面にある〃サンパウロの日本〃藤崎商会(サンパウロ市サンベント街58番)の広告には、すでに「食器」と書いてある。ブラジルと日本食文化の関係は笠戸丸以前に始まっている。
 かつてブラジル人は日本食をまったく理解しておらず、日系人しか食べないものだった。寄生虫の恐れがある生魚を食べることは、パウリスターノにとって奇異で、驚異ですらあった。
 特に戦前から60年代までは冷蔵庫が普及していなかったため、寿司、刺身はまず食べられず、ブラジル人は天ぷら、すき焼きしか知らなかった。1965年2月のクアトロ・ローダス誌の記事では、まだ寿司を「suxi」と表記していた。
 スペインではパエーリャ、ブラジルではフェイジョアーダが代表食とされているように、日本食は寿司だ。しかし、火を通した温かい料理、例えば天ぷらでなく、冷たい料理が代表となっているという意味で、世界的にも珍しい。
 子供の頃、私は地方に住んでいて、学校の副校長は二世で、よく日系の友達の家に遊びに行って、日本食をごちそうになっていた。そこで出会った味噌汁とかに特別な興味を抱いた。バアチャンの作ってくれた手料理にはとても愛着がもてた。私の家では普通の西洋料理だったが、バアチャンの家はまったく別、特別な場所だった。
 我々にとってマカロンを食べることは普通であり、日常の一部だ。だからイタリア食、フランス食は別に珍しくない。その食のセンスを理解するのはなんら難しくない。
 ところが日本食は生魚を食べる、箸を使う、どれ一つとっても考え方が異なる。その食文化の全てを理解することは不可能なぐらいに難しい。でも、その違いが逆に日本食を魅力的にしている。
 日本食が愛好された結果、ブラジルではテマケリア(手巻き寿司専門店)という日本にはない「ブラジルの日本食」までが発明されるに至った。
 元々日本では家庭料理だった手巻きが、ブラジル独特の食材を取り入れて2003年にサンパウロ市ビラ・オリンピア区で始まり、全伯各地に広まっている。最初の店はテマキ・エキスプレスで、サーモンにアモーラ(黒イチゴの実)を入れたものなどで始まり、その種類は劇的に増えた。中でもリオでは、ホットロール(衣をつけて揚げた巻き寿司)が大成功している。
 ブラジルで日本食の伝統を保つのは難しい。今までは日系人の家庭内で保たれてきたが、一般人は正統にこだわらないし、特に若者は文化を混ぜることに抵抗がない。すでに日本食ではなく、日系食といえる。米国にはカリフォルニア巻きがあるが、我々も発明してきている。
 最後に、サンパウロ市日本食の三大シェフを挙げるとすれば、レストラン木下の村上強志氏、ジュン・サカモトの坂本淳氏、アイゾメの小池信也氏だろう。ブラジル人が醤油のプールに寿司を浮かべるのを忍びないと、彼らはいろいろな工夫を凝らしている。

坂本淳=「寿司の命はシャリ」

【プレジデンテ・プルデンテ出身。17歳から寿司職人の手伝いを始め、ナナコ、駒寿司、ナガヤマなどを経て、NYで日本からの料理人の指南を受け開眼し、2000年から自分の店を開く。ベージャ誌で5年連続「サンパウロ一の日本食店」を達成。昨年は自叙伝を出版した。43歳】

 私は元々、写真家を目指していた。当時人気の職業だった。お金がなくて、昼間は写真スタジオで助手をし、夜は生活費を稼ぐために日本食レストランで働いていた。いわば生活のために寿司を握っていた。
 当時、一番良い日本食店と言われていた駒寿司に食べに行ったが、その頃は、正直言って違いが分からなかった。良いものと、そうでないモノの違いも分からなかった。経験を深めるには時間が必要だった。
 私の運命を決定づけたのはニューヨークの日本食店で1年間働いていた時、ある保険会社のイベントで用意された寿司の美しさに感動したことだった。あの光景は忘れたことがない。
 そこで、寿司の命はシャリにあることを学んだ。魚はみな同じような市場で買うから大差はない。寿司は単純さの美学だと思う。職人の技が一番出るのはなんといっても米だ。
 私のお客さんは西洋文化圏の人だ。それに合った味はもちろん、環境、値段、サービスがそろってこそ満足してもらえる。リオのレストランで半年間経営を覚えた。材料や食材の仕入れ管理、人事、財務を経験した。全てがそろってこそ満足してもらえる店になる。
 一つの道を究めるには10年、15年という経験がないと分からないことがある。今、日本食を目指す若い人もそれを心得てほしい。
 お米のレセイタはお金を払って教えてもらうモノではなく、「盗むもの」だと教えられた。だから誰もレストランの料理場にいない時間にいって、全ての調味料の重さを量り、みんなが帰った後にまた計った。それが私のレセイタだった。
 自分なりにそれに工夫を加え、今のシャリにしている。駒寿司の時代から米も酢も変えた。
 フォアグラ、キャビアなどは素材自体ですでにうまい。それは料理の美学(アルチ)ではない。スパゲッティ・ボロネーザは誰もが作るが、本当にうまいモノは少ない。そのへんの市場に売っているモノでとんでもない美味いモノを作ったり、単純なものこそが実は一番難しい。
 これが究極の料理であり、私の目指すゴールに終わりはない。
 ブラジル文化の特長は混交であり、日本食もその一部になっていると思う。混交に反対する人もいるが、私は賛成だ。

小池信也=「本当のブームはこれから」

【52歳、東京出身。ブラジル在住16年。日本食レストラン「アイゾメ」シェフ】

 日本料理界の急成長の中で16年間を過ごしてきた。来たばかりの頃は、みな最初はそう感じると思うんですが、ブラジルの日本食をバカにしていた。でも食材をみてびっくり。日本以外の諸外国をみても、農産物ではここが一番充実している。移民のおかげだ。これだけ日本食材が揃っているところに来られて、本当に良かったと思った。
 ただ農産物は豊富だが、水産物は不足している。チリからの魚介類の輸入がどうなるか、法規制の問題に関心を持っている。
 その反面、アマゾンの魚とか珍しいものもある。日本食のプロとしてどのようにそれを開発し、応用していくかが僕らの使命だと思っている。
 お店のお客さんの40%は日本人。僕らは日本食の基礎を持っているが、あるお客さんに言わせると日本食じゃないかもしれないという部分もあるかもしれない。
 僕らの使命は二つあると思っている。一つはブラジル人のお客さんに本当の日本食を伝えること、そして日本人のお客さんにブラジルの食材のおいしさを伝えること。
 たしかに日本食マーケットは大きくなっているが、技術的な部分で見ると、基本的なところを理解せずに、応用に走っておもしろおかしくやっている部分もある。日本食の原点はなにか、日本料理の基本は何かと言うことを伝えていかなければと思っている。
 その原点は日本の文化そのものです。文化の一つが料理であり、500年から600年の歴史がある。全部ではなくとも、そのテイストの一部を伝えていきたい。
 日本食はまだ寿司、刺身の時代。本来日本食が持つ多様性からすれば、まだ日本食ブームはこれからといえる。僕らがそれを見せていかなくてはと思っています。
 ブラジルで日本食がこんなに人気があるのは、元々お米文化があったことと、日本移民が多いために日常生活を通して味噌とか醤油などの調味料との接点が多く、受け入れられやすい素地があったことなどが考えられます。
 寿司、刺身は米国のブームを受けて、ここ10数年で急成長した。僕が来た当時、93年には日本食店はまだリベルダーデ、ピニェイロス周辺が中心で、コロニア向けの食堂みたいのが多かった。その中で寿司や刺身を出していった。イタインとかにはほとんどなかった。
 15年ぐらい前からブラジル人が大きな投資をして、高級感を出したレストランにしていった。料理自体もブラジル人が自分たちの好みに合わせて変えていった。
 そのように変化したブラジルの日本食を将来、日本が逆輸入することもありえる。ヨーロッパにはブラジルで寿司やっていた職人が次々に進出している。イタリアでは日本からきた寿司よりも、ブラジルから来た寿司、ホットロールとかの方が人気があります。
 それは、いわゆる僕らが言う日本食とは違うカテゴリーだが、世界的に見たら「日本食」という注目度で受け入れられている部分がある。また同様に、日本の日本食自体も海外からの影響を受けて変わってきている。
 これからは「日本の日本食」だといっているだけではいけないかもしれない。ただ、日本食の基本は忘れないよう、僕らが説明していかなければと思います。

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