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ガイゼル大統領以来か?!=伯大臣級要人の文協訪問=ルッピ氏が突然史料館へ

ニッケイ新聞 2011年1月12日付け

 「こりゃ凄い。知らなかった」。カルロス・ルッピ労働大臣は移民史料館の展示をみて何度もそう語った。文協ビルにはサンパウロ州知事などの訪問はあるが、非日系の大臣級要人が訪れるのは実に33年ぶりだという。
 帰伯労働者情報支援センター(NAITRE)の開所式に訪れたついでに、ルッピ大臣が「史料館も見たい」と希望したため、月曜休館だが急きょ開けることに。
 エレベーターで史料館入り口のある7階まで上がるも鍵が閉まっている。「すぐに鍵を持った職員が来ます」と木多喜八郎会長は説明し、大井セリア元館長が汗だくになりながら歴史を解説して時間稼ぎをするも、大臣は片足を神経質そうに小刻みにバタバタさせ、いかにも「待たせるなら次に行く」という雰囲気を漂わせた。
 10分以上も待たされた大臣が「次の予定があるから別の機会にする」と暇乞いをした瞬間、扉が開いたエレベーターには鍵をもった職員が乗っていた。そのまま史料館の扉を開けてギリギリ間に合った。
 「すでに予定から遅れている」と文句を言いながらも、大臣は説明にじっくりと耳を傾けた。
 移民船写真パネルの展示コーナーでは上原幸啓前文協会長が「大臣、どの船が一番大事かお分かりですか。これですサントス丸。私が乗ってきました」と冗談めかして言うと呵呵大笑して一気に場が和んだ。さらに上原前会長が「同じ船に約600人乗っていましたが、うち5人がUSPに入りました」と〃生きた移民史講座〃を続けると、ルッピ大臣とパウロ・アルメイダ国家移民審議会会長は驚きの表情を浮かべた。
 ルッピ大臣は「どうして日本移民はブラジルに来たのだ」などと熱心に質問した。アマゾン移民の展示で黒胡椒が皿に山盛りになっているのを見て、ルッピ大臣は「僕は政治家になる前にフェイランテをやっていて、この黒胡椒をたくさん売ったよ。あれはジャポネースが生産していたんだな」と感慨深げな表情を浮かべた。
 出口のサイン帳に大臣は「ブラジルの日系コロニアの貢献に対して誇りと憧憬を込めて、その万世の文化に感謝する」としたためた。アルメイダ審議会会長も「移民とその子孫の歴史をこうして学べることに日系コムニダーデへ感謝する」と記した。
 時間の関係で7階しか見学できず、ルッピ大臣は「必ず時間を作って残りを見にくる」と言い残し、名残惜しそうに次の予定地に移動した。
 山内元会長に取材したところ、文協ビルに大臣クラス以上の非日系要人がきたのは、移民70周年(78年)で移民史料館をイナウグラソンした時に、ガイゼル大統領が来た時以来という。

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