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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月10日付け

 水野龍の息子、龍三郎さん(80、二世)宅はパラナ州都クリチーバ郊外にあった。あまり裕福な地区ではなく、実に質素な家に住んでいた。44歳年下の妻との間には15歳を先頭に2歳半まで3人の子供がおり、ヤキソバ弁当を作って日々の生計を立てている。あの水野龍の息子がこのような質素な暮らし——と考えさせられた▼龍三郎さんは「ヤキソバの売り上げがよくない月には料金が払えず、電気を止められたりするんです」とボヤく。その事実ひとつとっても、水野龍が子孫に財産を残さずに生涯を閉じたことが伺われる。笠戸丸移民からお金を借りて返さなかったことから悪評が残っていることは重々知っているが、子孫の生活ぶりを見て、少なくも自分の懐を肥やした人物ではなかったと思えた▼常々不思議だったのは、サンパウロ市で水野龍の立像、胸像の類を見たことがないことだ。上塚周平、山本喜誉司、下元健吉らの胸像は史料館にある。でも〃移民の祖〃であるにも関わらず胸像一つないことに何かの符合を感じる▼また日本政府からの水野龍に対する功労評価は、彼に与えられた勲章が勲六等であることからも伺える。もちろん戦前と戦後では勲章の基準自体が違うだろうから、単純な比較はできない。でも参考までに山本喜誉司には勲四等旭日章が、宮坂国人には勲五等旭日章、細江静男には勲三等瑞宝章、輪湖俊午郎は勲五等瑞宝章という具合だ▼水野にはまとまった自伝もない。なぜか歴史的評価から外されている雰囲気を感じる。連載の中であまり難しいところまで突っ込むことはできないだろうが、知られざる〃移民の祖〃の生涯に少しでも迫りたい。(深)
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 【訂正】コラム樹海中で、水野龍の胸像がサンパウロ市にはないと書いたところ、移民史料館から「小さいものですが、7階の笠戸丸コーナーに展示されている」と連絡があった。同様に読者から指摘があり、山本喜誉司への正しい最終勲位は勲三等旭日章(死後叙勲)、宮坂国人へは勲二等瑞宝章(同)だった。お詫び訂正する。