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富山県人会=県連への復帰が完全決定=全都道府県人会が揃う=園田会長「最後の一片埋まった」

ニッケイ新聞 2011年11月30日付け

 全47都道府県人会が県連に——。唯一県連に加盟していなかった富山県人会(市川利雄会長)が27日、アクリマソン区の同会会館で開いた役員会で県連に再加盟することを決議、正式に復帰した。会に出席、定款の確認などを行った県連の園田昭憲会長は「欠けていた部分がようやく埋まった。積極的に活動に参加して欲しい」と明るく語り、県連の結束力向上に期待した。

 市川会長は脱退の理由を次のように説明する。「当時、県連の定款には会計に関する説明がなかった。県連主催『日本祭り』には00年の第3回まで参加したが、同祭の赤字分を各県人会に負担させると決めたことへの不満が県人会役員内で高まった」。
 当時の会長で現会長の兄、市川良一氏が県連に手紙を出し、01年に正式に脱退した。
 「毎月の代表者会議で一方的な報告が多かったことも一因だったようです」(市川会長)。
 その後、県人会内では何度も復帰の検討がされたが、県連の運営方法や定款に不安を唱える声もあり実現しなかった。
 進展があったのは今年6月。県連の新定款について市川会長と園田昭憲県連会長で話し合い、会計面を含めた内容の改善を確認したことで復帰に向けて準備を開始した。今月、県連と同県人会との間で合意に達し、役員会での承認を待つのみとなっていた。
 役員会には園田会長が出席し、新定款や県連基金などに関して説明。役員による採決が行われ、全会一致で復帰が決定した。同時に県連からも加入が自動承認され、12月度の代表者会議から出席する。
 市川会長は「以前の県連から大きく変わったと感じた。『第15回日本祭り』への参加は未定だが、他県人会への行事参加や若い世代の交流を期待したい」と話した。
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 富山県人会は1960年に創立、現在会員は300家族。昨年8月には県人移住百周年、県人会創立50周年を祝う式典を開催、記念誌「富山県からブラジルへ」(日ポ両語)を刊行。また県費留学・研修生の派遣を毎年行うなど活発に活動を行っている。

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