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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第3回=世界最大の発電能力誇る=最後発世代と軍事政権

袋崎さん(写真提供=荒木、4月撮影)

 2009年11月10日夜10時13分、イタイプーダムの送電設備に端を発する大停電が起き、パラナ州と聖州を中心とする18州、実にブラジル全土の3割に相当する地域への電力供給が止まったことは記憶に新しい。これはブラジル史上2番目に大規模な停電として歴史に残った。つまり、イタイプーが止まればブラジルも止まる。
 このダムはパラグアイと伯国の国家プロジェクトとして1975年に着工、84年に送電を開始した。総工費は140億ドル。完成当時、世界最大の水力発電所としてその名を世界に轟かせた。現在までに20機のタービンが設置され、総発電能力は14ギガワット/年を有する。自然の川の流れから、最大級の原子力発電所10基分以上に相当する大電力を安全に取り出す施設だ。
 このダム建設に関するパラグアイ政府と交わしたイタイプー協定(1973年7月)の時点で想定された発電能力は、当時のブラジル全体の発電能力の実に75%に相当するものだった。まさに国家の屋台骨だ。
 この電力はパラグアイとの間で2分されているが、パ国が消費しているのは50%のうち5%のみで、ブラジルは自分の分50%に加え、パ国の残りの45%を買い上げて使っている。つまり95%をブラジル側が利用している。
 長大な送電線によって大聖市都市圏に電力を供給し、〃ブラジルの機関車〃と呼ばれる聖州の産業発展の基盤となっている。このダム開発なくして現在のブラジルはありえない。長い植民地時代の名残ともいえるコーヒー輸出に偏った農業国から、自動車産業を持つ工業国へと転換する目的で、国家の威信をかけて進めていた重要なプロジェクトがイタイプーだった。
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 〃8人のサムライ〃の一人、袋崎雄一(67、東京、青年隊10期)は45年4月に東京都で生まれ、都立工業高校を卒業した。日本の高度経済成長は55年に始まり、石油ショックが起きた73年まで20年近くに渡って平均10%以上のGNP成長を記録した。袋崎が物心ついた10代の頃は右肩上がりの経済成長のど真ん中だった。
 しかし、「日本は土地が狭く、限られている。どうしても外国へ出たい。大きな建設現場で働きたい」との強い決意を持って青年隊に入隊し、静岡県の建築大学校中央訓練所を卒業した。10期生として64年8月サントス着の「さんとす丸」で渡伯した時は、まだ19歳の若者だった。
 日本ではそのわずか2カ月後、10月に東海道新幹線が開通、東京オリンピックが開催された。この五輪以降が高度経済成長の後期に当り、戦後移民が事実上途絶えはじめた時期だ。
 ブラジルではその年の3月31日に軍事クーデターが起きていた。こちらもまさに時代の節目だった。68年からの〃ブラジルの奇跡〃の後、軍事政権は国債を大量に発行して外国に買ってもらい、その資金で大規模な国土開発を進め、国民の雇用と所得を確保するケインス経済政策をとった。それゆえ70年代は「巨大工事の時代」と呼ばれた。そのための人材が必要とされていた時期だった。
 袋崎は黒木の紹介で65年にはMJ社に入社、ゴイアス州、ピアウイ州、マット・グロッソ州のダム等の測量部で働き、それからコンクリート施工部に移って経験を積み、施工部の工事長として名が知られるようになった。その間に、コンクリート型枠工法を現場で実地に学んでいた。(敬称略、つづく、深沢正雪記者)

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