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平成25年=元旦に皇室の弥栄を祈り=陛下のご回復に快哉叫ぶ

ニッケイ新聞 2013年1月1日付け

 寸刻を惜しむかのように慌しく過ぎ去った昨年の皇室は、暗雲がたなびく重苦しいニュースに始まり、後の半年は快晴に恵まれ明るい暮らしに成られたのは喜ばしい。新年の公式行事がほぼ終わった頃に狭心症と診断された天皇陛下は、2月18日に心臓の冠動脈バイパス手術を受けられ、6月6日に三笠宮寛仁殿下が薨去された。女性宮家の創設に向け「天皇の歴史は男系尊重」の爆弾宣言をするなど勇気ある発言で人気が高く、ガンに倒れ国民に惜しまれ幽界へと旅立たれたのは真に哀しい。
 そして—御父上の三笠宮崇仁さまが聖路加病院で鬱血性心不全の手術と、重く暗い事々が次から次へと続き人々の胸奥に痛ましいほどの傷跡を刻み込んだのは記憶に新しい。移民50周年祭にご臨席のためブラジルを訪問し、オリエント学の皇族教授として大学の教壇にも立った三笠宮さまも96歳という高齢であり術後の成り行きなどが心配されたが、百合子妃殿下が医師団に重ねて手術を要請し実現の運びとなり、今は青年の頃のような行動は難しいが、日々を元気に過ごされているのは何よりのことであり、お喜びを申し上げたい。
 もう一つは、寛仁さまが反対意見を述べられた女性宮家の諮問委員会が、異論や反対論を封じ込めるようなやり方で議論を推し進めているようなのは如何なものか—と疑問を呈さざるをえない。これは強硬な反対論者である審議会のメンバーである評論家の桜井よしこさんも指摘しているのだけれども、どうやら官僚主導と大学教授らとの馴れ合い会議の異臭がぷんぷんするの印象が濃い。
 男子の皇族が少なくなり天皇の後継者の問題が深刻さを増しているのは否定できないが、男系を重んずるのであれば旧皇族方の復帰もあるだろうし、危機意識ばかりが先行し女性宮家に走り「女系天皇」にも通じる愚策は絶対に回避すべきである。どうしても男系がいなくなれば、歴史上の推古天皇などに倣い皇太子殿下の愛子さまを男系女性天皇にする手立てもあるし、敢えて危険の道を歩むのは退けたい。
 だが—、後半の皇室は本来の明るさを取り戻し、秋の陽光を燦燦と楽しむ暮らしに戻られている。
 天皇陛下は、あの天野篤教授のメスで冠動脈手術を受けられてから3カ月後の5月には、イギリスのエリザベス女王即位60周年の祝賀式典にご臨席のため、皇后さまとご一緒に英国へと向かわれた。この快復ぶりもだが、陛下にとって皇太子の頃に昭和天皇の名代として船に乗って英国を訪問し、エリザベス女王の戴冠式に臨んだのは懐かしくも愉快な思い出である。あの船旅は19歳の皇太子には初めての海外旅行だったし、日本が戦後の荒廃からやっと立ち上がりかけた1953年であり、往復の旅には欧米の諸国にも立ち寄られ親善と友好の促進に努められ、これらの報道が話題になり、国民をどれほどに力付けたことか。
 ロンドンでの華々しい式典の風景は、NHKの藤倉修一アナや新聞社も名物記者が派遣され、確か徳川夢声も取材で出向いている。あのバッキンガム宮殿での女王晩餐会には、純金の食器が供され、美味求真の名画のようなご馳走が振舞われたとかのエピソードがまことしやかに報じられたの噂もあったと耳にしたけれども、真偽のほどは保証しかねる。
 それよりも、バッキンガム宮殿でエリザベス女王と皇太子さまが懇談されたときに、その見事な皇太子さまの英語に女王が「驚いたそうだ」の話が伝わり、日本語しか知らないニッポン人は、びっくり仰天の面持ちだったと語らい継がれている。
 と、賑やかで話題豊富な皇太子訪英記だが、秋篠宮家の悠仁さまが、満6歳になられ、御茶ノ水小学校に進学されることが決まったのも喜ばしい。
 戦後の皇族の子女で学習院小学校以外の小学校に進学するのは初めてだが、これも秋篠宮さまと紀子妃殿下の「できるだけ庶民的な教育を」の願いが込められているとすれば—大いに賛成し支持したい。皇太子、秋篠宮さまに継ぐ第3位の天皇後継者にあたる悠仁さまにとっても、将来の皇室はより国民に親しく大らかな人柄が大切であるの認識を高めるためにも、より民間色の強い御茶ノ水の選択がふさわしいと思われる。
 寛仁さまの長女・彬子さまも、日本美術を専攻され、オックスフォード大学から博士号を授与され立命館大学の准教授として活躍し、皇室の一翼を担いながら逞しく生きて居られ、これからも皇室の益々の弥栄を祈りたい。(遯)

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