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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第78回

ニッケイ新聞 2013年5月21日

 サンパウロ近郊なら、その日の夕方までには着いたが、遠距離になると二、三日後に店頭に並ぶことになる。野村は農業を離れると、雑貨店を経営しその店で新聞を売っていた。
 外は日が高くなるに連れて、気温は急激に上昇した。児玉はマリーナと一緒に野村の家で朝食を摂ることになった。近くのパダリア(パン屋)で祖母カノが焼きたてのパンを買ってきてテーブルの上に置いた。香ばしい匂いがキッチンに流れた。マリーナがコーヒーを淹れた。
 夜通し狭い車の中で過ごし一睡もしていなかった。野村の家で朝食を食べ終えると眠気に襲われ、いつの間にかソファに横になり熟睡していた。

 目を覚ましたのは午後二時過ぎで、キッチンでジョゼやマリーナは昼食をしている最中だった。食欲はなかったが、児玉もテーブルに着いた。
「児玉さんはまだブラジルに来たばかり。ジッチャンから昔の話を聞きたいというの」
 マリーナが児玉を誘った理由を野村に説明した。
 家の外にはすべてを焼き尽くすかのような強い日差しが照りつけている。湿度が低い分過ごしやすいが、それでも気温は三十度を超えている。扇風機から送られてくる風は熱風に感じられた。
 野村の肌は強い日差しの中で長年土を耕し、生きてきたことを思わせる赤銅色だった。
「わしらはブラジルにこんなに長くおるつもりはなかった。何年か辛抱して働いてまとまった金が貯まったら帰国するもりでおった。移民会社からはブラジルには金のなる木があると聞かされた」
 雄弁でもなく、吶々とした口調で語る野村の言葉には言い知れぬ重みがあった。
 野村が言う金のなる木とはコーヒーの木だった。移民会社とは人材斡旋会社と旅行社の両方を兼ねた会社で、日本人移民を農場主の元まで輸送するのが役目だ。
「宣伝文句の通りに稼げた移民なんておりゃせんよ」
 日本人移民はブラジルの奴隷制が廃止になってからわずか二十年後に導入された。農場主の意識がすぐにかわるはずもなく、移民は銃で脅され、鞭で威嚇されながら働いた。
「日本人が移住してきてもうすぐ七十年になるが、日系人が七十万人にもなったのは帰るに帰れなくてブラジルに留まったからだ」
 野村は初期移民の苦闘を淡々と語った。言葉、習慣の違いに苦しみ、次々にマラリアで倒れた移民。マラリアという病名さえ知らなかった。奴隷扱いされ、その上、コーヒー農園で朝から晩まで働いても、日本で聞かされていた収入を得ることは不可能だった。
「昔は賃金奴隷という言葉があったくらいで、農園で働いていると借金が増えていく仕組みになっていた」
 サンパウロ州各地の農園に入った移民は、農場主が経営する雑貨店から日用品を購入した。労働賃金から相殺されると聞いて、移民はそこから通常よりも高い米や油、塩などの食料品を購入した。半年ごとに清算が行われたが、移民は借金の超過に目を疑った。
「労働賃金は移民を農園に縛り付けておくためのエサだった」
 失望した移民は農園から脱走した。サンパウロに出て商売を始めた移民もいれば、移民会社に出資させ、そこに日本人移民の移住地を造成した。第一回移民の通訳としてブラジルの土を踏んだ平野運平と上塚周平はそれぞれに平野植民地、上塚植民地を開いた。移民会社にも資本はなく、手に入れることのできた土地はヨーロッパ移民が一度開拓に着手したものの、途中で放棄した土地だった。
「日本の百姓は、水田稲作が頭にこびりついて離れない。だから水の引きやすい土地に目が向いてしまった」
 移民会社が購入した土地を分割し移民に分譲した。川辺に近いところから売れていった。しかし、水辺に近いところはマラリアが最も発生する場所でもあった。


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