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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第81回

ニッケイ新聞 2013年5月24日

「今から思えばかわいそうなことをしたと思うが、あの頃は日本に帰ることしか念頭になかった。自分の娘をブラジルに置き去りにすることもできないし、肌の黒い孫を日本に連れ帰るなんて、想像しただけでも恐ろしくなった」
 野村の本音なのだろう。
 野村だけではなくすべての移民の意識を変えたのは、日本の敗戦だった。
「敗戦の知らせに、しばらくの間移民は放心状態でした」
 終戦から数年後、日本との音信が再開すると野村は広島に原爆が落とされた事実を知った。生存していた家族から、広島が焼け野原になり、祖国日本にはもはや戻る場がないことを思い知らされた。
「子供はすでに成人し、日本は進駐軍によって統治され、我々にできることといえば、故郷の家族に物資を送るくらいでした」
 ブラジルで生まれた二世たちは成人し、三世が次々に誕生していた。故郷に錦を飾ることなどもはや幻以外の何ものでもなかった。
「一旗揚げるつもりでブラジルにやってきたが、ここに骨を埋めるしかないことを移民は悟ったんです」
 移民の意識の変化は二世たちにも反映した。彼らは戦後、これまでの呪縛から解き放たれてブラジル社会の中に飛び出していった。
「二世たちが各地方の市会議員に立候補し、彼らは日本語で選挙演説を行っていた。その当時の二世のリーダーが上野アントニオや野村ジョーゴ議員だよ」
 上野はパラナ州選出、野村はサンパウロ州選出の連邦議員だ。
「一斉にブラジル社会に浸透していった二世に、ブラジル人との結婚を止めさせることなどできるはずもなかった」
 日系社会も混血化の波にのまれていった。
「日本人に限らず移民というのは、ヨーロッパからの移民もどこの移民も同じで、祖国の文化継承を唱える。民族の純血を守ろうと必死になる。しかし、ブラジルは巨大な溶鉱炉みたいもので、母国の文化を継承しようとしても、魂そのものがのみ込まれ、溶かされていってしまう。民族の純血などというものは、一瞬にして消え去る運命にある。皮肉なことに日本人移民がその現実を受け入れた時、ブラジルの中に入り込んで行けたような気がする」
 すでに農業の分野では日系人たちは確固たる基盤を築いていたが、二世たちは政治、法曹界、教育、あらゆる分野へと雪崩打つように進出していった。
「遥か遠い祖先に日本人がいたという程度で、近い将来日本人とはおよそ似ても似つかない日系人が誕生するでしょう」
「そのことに抵抗を感じるのでしょうか」児玉は疑問をぶつけて見た。
「理屈を超えた違和感があるのは事実です。しかし、違和感があるからといって、ガイジンの嫁をことさら毛嫌いし、曾孫が可愛くないなどということはありません」
 野村はイーリャ・グランデを見つめながら言った。
 ジョゼは日本語がほとんど話せない。野村と児玉の二人の会話をマリーナが翻訳していた。
「ジイチャン、俺たちは日本人ではないよ。ニッポ(日系)ブラジレイロ(ブラジル人)、でも日本文化をまったく継承していないわけでもないさ」
 ジョゼはサンパウロ州立大学法学部に通っていた。
「日系人学生の中では俳句が流行っている。俺もやってみようと思う」ジョゼが言った。
「俳句が流行っているんですか」
 熱帯、亜熱帯性気候が広く分布し、四季のないブラジルで俳句が流行していることが不思議だった。
「日本の俳句とはおよそ違ったものですよ。自分たちで季語を無理やりに作ってやっているんです。だいたい四季を知らない二世、三世が詠むのだから、日本人からみれば俳句にはなっていないと思います」(つづく)


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