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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (10)=亜国が巡洋艦2隻譲る=日本海海戦で重要な働き

ニッケイ新聞 2013年7月5日

 1903年12月20日、《在ブラジル公使館に小村寿太郎外務大臣から「アルゼンチンと装甲巡洋艦購入交渉を開始せよ」との訓令電報が入った》(『亜国移民史』16頁)。亜国海軍は隣国チリとの国境紛争に備えて、としては最先端の性能を誇る巡洋艦2隻「リヴァダヴィア」「モレノ」をイタリアのジェノバで建造していた。
 しかし英国が仲介してチリと和解が成立し、必要がなくなっていた。日英同盟を進めた小村の根回しにより、亜国と親密な関係にあった英国は、巡洋艦を日本に譲渡するように裏工作をしていた。
 当時のブラジル公使館にいた堀口九萬一臨時代理公使がブエノスアイレスに直行し、フーリオ・ロカ大統領、ドラゴ外相、オノフレ・ベトベデル海相と会見し、巡洋艦の譲渡が正式に合意した。亜国が譲った最新鋭艦にはそれぞれ「日進」「春日」と日本名が名付けられ、実際に日露戦争で活躍した。
 1903年5月に大越成徳弁理公使が帰朝し、次の杉村濬弁理公使が赴任するまでの間、本来は二等書記官だった堀口九萬一が臨時代理公使を務めていた。この堀口は詩人・堀口大学の実父だ。
 ウィキ「春日型装甲巡洋艦」項には、《「リヴァダヴィア」は春日、「モレノ」は日進と命名され、第1艦隊に属し旅順港閉塞作戦に参加した。特に春日の主砲である「アームストロング25・4センチ(40口径)砲」は連合艦隊の中で最も射程が長く、旅順口攻撃に投入され旅順要塞の要塞砲の射程外から楽々と旅順港内に撃ち込むことが出来たため、港に籠っているロシア旅順艦隊に一定の心理的影響を与えた》とある。
 また有名な日本海海戦においても、《この海戦ではロシアの戦艦八隻にして日本は四隻と劣勢だったが、アルゼンチンから購入した装甲巡洋艦日進と春日が戦艦部隊に編入され、助っ人の役をよく果たした》と『笠戸丸から見た日本』(海文堂、07年)に笠戸丸研究家の宇佐美昇三が書いている。
 後に、日本海海戦の艦隊作戦参謀だった秋山真之中佐は、「日本が主力艦12隻すべてを戦線に出せなかったら、勝敗はどうなっていたか分からない。日進、春日、この2隻がいなかったらと思うと、私は今でも戦慄せざる得ない」と語ったとの出典不明の記述も読んだが、ありえる話だ。
 《なお、ロシアもこの二艦に興味を示し、アルゼンチン政府と交渉したが、成功しなかった》(『亜国移民史』17頁)とある。日露戦争と南米には深い関係あった。
  ☆   ☆
 『物故者列伝』によれば《堀口九萬一氏は、ブラジルに縁故の深い外交官で、前後を通じてブラジル在勤が、10年余に及んでいる。弁舌がさわやかで、筆もよくたつので、筆に口にブラジルを、わが国に宣伝し、鼻メガネの堀口公使として有名であった。また早くからブラジルの特徴を認め、多くの外交官が、邦人のブラジル発展を危惧した頃にも、ブラジルこそ邦人発展に好適の新天地であると喝破し、大いに奨励した人である》(20頁)とある。
 ここで一つ謎が解けそうだ。連載第5回で、1905年4月に第3代弁理公使としてリオに着任した杉村濬公使は、ブラジルを移民有望の地と説く『ブラジル事情』報告を6月に早々と外務省から刊行したのが「早すぎる。前もって準備していたかのようだ」と指摘した。
 『列伝』(93頁)には《伯国は日本移民に不適の地と報告した大越成徳公使帰朝のあと、来任した杉村公使は、着任早々、佛語に堪能な堀口九萬一書記官を伴って、移民導入の見地から、ミナス・ゼライス州、次いでサンパウロ州を視察した。(中略)杉村公使は、又小村外務大臣に「サンパウロ州中伯国官民歓迎の模様報告」を送り、サンパウロ、リベロン・プレット、タウバテー等に於ける官民の歓迎振りを詳報、日露開戦以来、皇軍の連戦戦勝が、深く伯國人の敬慕を招いたことを強調している》とある。(つづく、深沢正雪記者)

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