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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(53)

ニッケイ新聞 2013年7月27日

 同時期、キンターナの西隣のツッパンでも、山下、日高が北村新平という仲間と、押岩たちと全く同じ動機で、決起しようとしていた。
 北村(26)は果物の行商をしており、山下(21)は、この時期は、姉夫婦の営む精米所で働いていた。日高(20)は、父親のバール を手伝っていた。(カッコ内は年齢)
 この内、日高徳一は、実は、臣道連盟ツッパン支部の青年部に属していた。青年部の隊長には決起の相談に行ったが、時期が早いの遅いのと逃げた。そこで、行動を起こす意思はないと見て、臣連とは遠い所に自分を置いて(臣連とは関係なく、の意)行動することにした。
 青年部には、同志に誘い入れたい仲間が二人居たが、その親たちが支部役員をしていたので、秘密が漏れると警戒、誘うことを止めた。
 3人は、ポンペイアの住人で戦勝派の先輩である横山重雄に相談、その仲立ちで前記のキンターナ、ポンペイア勢と合流した。
 横山重雄は、本稿ですでに何度か登場の白石静子・悦子姉妹の叔父(姉妹の母カズエの実弟)である。妻子と共に、白石親子と、同じ敷地内にある別々の建物に、住んでいた。
 かくして計12人の同志が集った。内8人が30歳を過ぎており、多くが結婚して家庭を持っていた。4人が20代で独身であった。

 認識派も、動く

 同時期、同じパウリスタ延長線。
 沿線各地の邦人社会の敗戦認識者が──右の決起組の動きを察知したわけではないが──戦勝派に不穏な空気があることに気づき、警戒を強め、対策に動き始めていた。
 2月17日、バウルーに9地域の有志19人が集って、情勢を報告、対策を協議した。
 9地域とは東からバウルー、ドゥアルチーナ、ガルサ、ヴェラ・クルース、マリリア、ポンペイア、キンターナ、ツッパン、バストスである。
 ちなみに、ツッパンからの出席者は、前出の岡崎司三、新田健次郎、石田喜三郎であった。
 会議の司会は、バストスの山中弘がつとめた。その折の議事のメモがサンパウロの文協移民史料館に保管されている。
 記録者は「マリリア市西川武夫」とある。前出の商店主である。そのメモによると、各地の代表者から、戦勝派の動向が報告されている。
 その発言の一部を抜き書きすると。──
「神道連盟ナルモノノ活躍盛ンナリ」(バストス)
「状況 最近ニ至リ益々悪化 落書事件ハ既ニ、三回ニ及ビ…(略)…敗戦ヲ信ジル者ヲ追イ払ウベシトノ運動サエ起ル」(ツッパン)
「ツッパン程悪性ナラザルモ 認識者圧迫アリ 不良団体ノ運動ハ猛烈ナリ」(ポンペイア)
「不良団体ノ活動ハ相当盛ンナリ」(ガルサ、バウルー)
 文中、神道連盟は臣道連盟、不良団体とは臣連ほか戦勝派の団体のことである。
 各地代表の報告では、敗戦派は──一部を除いて──ほとんどの地域が、その全邦人家族数の一割以下であった。
 集会は、結局、司会が「捨テ置キ難シ」
と発言、
「我等活動ヲナスベシ」との意見も多く、
「然レバ ソノ方法如何
?」
 となり、マリリアの三浦勇の提案を基に、次の様な結議をした。
①運動ノ主体ヲ作ル。仮ニ、パウリスタ同志会ト称ス。
②聖市ヘ四名以上ノ代表ヲ送リ、ノロエステ、ソロカバナ、聖市近郊ノ諸氏ト聖市有力者ヲマジエテ、会談。
③聖市有力者ノ地方ヘノ出馬ヲ要請、不良妄動団体ヲ官憲ニヨリ解散サセル運動ヲ起スコトヲ要求スル。
④在伯同胞ヲ正シキ認識ニハイラシメルタメノ有力ナ組織ヲ作ラセル。
⑤右ヲ実行スルタメノ準備工作ヲ開始。(以上)
 文中に「官憲」の文字がある。警察のことである。
 ノロエステ、ソロカバナ、聖市近郊、聖市は、パウリスタ延長線と共に邦人の大集団地であった。
 なお、認識運動という言葉は、この頃から使われ始めている。敗戦認識の啓蒙運動の略である。(つづく)



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