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あと6カ月でW杯開催=三浦知良に独占インタビュー=〝ブラジルサッカーの布教使〟=今も心に刻まれる伯国の洗礼

新年号

ニッケイ新聞 2014年1月1日
「ブラジルでの経験がなければプロとしての成功はなかった」と振り返るカズ

「ブラジルでの経験がなければプロとしての成功はなかった」と振り返るカズ

 46歳。1982年にブラジルに渡り、日本のプロサッカーの草分けとなった三浦知良(静岡)は、今もプロ選手として第一線を走り続けている。Jリーグ初期における活躍ぶりは日本人最初の〃ブラジルサッカーの布教使〃とでもいうべき金字塔であり、求められる身体能力が飛躍的に向上している現代サッカー界において、その存在は〃特別〃だ。今年半世紀ぶりにW杯を開催するブラジルと縁の深いカズに、改めてサッカー人生の原点となった当地への想いを訊ねると、「今でも感謝の気持ちは強い」という当地日系社会への気持ちを語った。

危機感〟という大きな収穫

 地球の反対側、15歳で初めて降り立った南米サンパウロの地――。真っ先に感じたのは、感慨でも不安でもなく「空気がよくない、臭いがあるな」。初めて立つ異国の地にあっても、後に「キング」と呼ばれる少年に臆する気持ちはなかった。

当地でのキャリアの出発点は、聖市セントロ付近のイタリア人街モッカにある中堅クラブ・CAジュベントスのユースチームだった。スタジアムから少し離れた選手寮は、簡素な部屋にノミだらけのベッド。成功を目指して全伯から集まった貪欲な少年たち、いわばプロ予備軍と文字通り身を削りあった日々の練習だった。

彼らの多くにはサッカー以外に社会的にのし上がる手段はない。つまり、他に逃げ道はない。背水の陣で必死にボールを蹴る少年達に混じって日々を過ごし、カズは南米サッカーの洗礼を受けた。

「ブラジルでの生活で得た非常に大きなものの一つが〃危機感〃。今日結果を残さなければ明日はないという世界。常に緊張感を持って闘い続ける姿勢を学んだ」。今も第一線に居つづける選手だけが放つ、厳しい視線を投げた。そこに懐旧的な雰囲気は微塵もない。

癒しとなったコロニア

 食うか食われるか、生き残るかやられるか――そんな厳しい環境の中、ポ語だけで日々闘うカズにとって、日本語が使えて、日本食が食べられる東洋人街は心の休めどころだった。それまでの張り詰めた雰囲気とは打って変わって、「練習のない日曜日にフェイラに行ったり、本屋を巡って雑誌を読んだり…。木村理髪店では『パーマとカットと刈上げを5分で』なんて頼んでいた」と当時を懐かしげに振り返った。

日本を代表するスター選手の一人となった現在も「多くの日系の方、日本から来ている企業の方に本当にお世話になったし、その存在を温かく、力強く感じていた。あの当時、日本人がブラジルでプレーするというのは本当に難しかった。その中で、良いときも悪いときも日本人の代表とみてくれてサポートしてくれたことには感謝しかない。皆さんの中で育ててもらえたし、皆さんがそういう気持ちでいてくれたことは僕に勇気、自信をくれた」と感謝の気持ちは深い。

胸に残るドゥンガの言葉

 プロとしての本格的な活動を見据え、早くも84年に永住権を取得。その2年後、聖市の名門サントスFCと初めて正式なプロ契約を結んだ。当時のチームメイトには後にセレソン主将にまで上り詰めるドゥンガ、98年W杯決勝進出に貢献し、90年代後半には日本でもプレーしたセザール・サンパイオもいた。

19歳で迎えたデビュー戦は散々だった。「相手は確かジュベントスだった。先発して65分くらい出たけど、格下相手に0対1で負けて大きく批判を受けた。非常に厳しいデビューだった」。当時を振り返る淡々とした口ぶりの中にも悔しさが滲む。結局このシーズン2試合に出場したのみで、他クラブへの移籍を余儀なくされた。

そんな苦いデビューシーズンの中で、ドゥンガから言われた言葉は、プロ生活28年を数えた今も深く胸に残っているという。

「遠征先で同じ部屋になった時、『将来を嘱望されている選手でも、現状に甘えてトレーニングをおろそかにし、プロとしての態度をとれなかったことで落ちていった選手はたくさんいる。お前もまずは自分自身をしっかり見つめろ。どんな状態でも現状に満足するな、常に上に上がって行こうという気持ち忘れるな。それを無くさずに毎日戦っていくことが大事なんだ。日々油断するな』と。常に自分の中に生きている言葉です」。さまざまな場面で賞賛の声が聞かれるカズの〃プロ意識〃の源流はここにあるのかもしれない。

転機となったクロアチア

 40歳を過ぎ、Jリーグ最年長選手となって久しい。所属する横浜FCの山口素弘監督は、かつてともに代表チームで戦った後輩にあたる。山口監督とはどんなことを話し、チーム内でどんな役割を期待されているのか。「僕らはお互い言葉を交し合う方じゃないけど」と前置きした上で、「シンプルに活躍するために、全力を尽くすこと。僕がその姿勢を貫いていれば、若い選手はやはり休めない、怠けられないから」。

体調管理やコンディション調整への意識を聞くと、こんな言葉が返ってきた。「40代にもなると10、20代で気をつけなくても良かったことに気を払わないといけない。回復力にしたって若いときとは違う。ただ、毎日皆と一緒に練習することや試合に出るための準備だったり、ケアだったりへの意識は若い時から何一つ変わっていない」。一貫してぶれないその姿勢こそが、カズの強さであり、47歳を迎える今年になってなおプロ選手でいられる理由だ。

そんなカズが「選手生活における転機となった」と語るのが、98年末から約半年間所属したクロアチアの強豪チーム・ザクレブでのある選手との出会いだった。

「ゴラン・ユリッチ。彼とサッカーをしたことは、自分のサッカー人生における大きな分岐点となった」。98年、日本代表が初出場を果たしたフランスW杯の本戦のメンバーに、三浦知良の名前はなかった。失意の中、当時所属していたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)にも戦力外を通告され、求めた新天地がクロアチアだった。

当時、ユリッチはすでに30代後半。それでも、練習から絶対に手を抜かない姿勢、サッカーに対する情熱は、チームの中でも際立っており、その姿は選手として一つの曲がり角に差し掛かっていたカズを大きく感化させたという。「サッカーをする喜びを回復させることが出来た」と感慨深げに話した通り、この半年間がなければ、ピッチの上を走るカズの姿を現在まで見ることは出来なかったかもしれない。

未来のカズとブラジル

 カズは活動の拠点を日本に移した以降も、ブラジルの永住権を更新し続けている。

今後、ブラジルを拠点とした活動は視野に入っているのかという記者の問いは、「いや、今は全く考えていません」とかわされてしまったが、「ブラジルはサッカーの国。ずっとサッカー界でサッカー人として生きていくためには必要で、常に身近に感じていたい。そういった意味で(永住権は)今後役に立ってくるはず。今後も維持していきたい」と言葉に含みを持たせた。

近い将来、当地でカズがサッカーに関係した何かをして活躍する日が来るかもしれない。例えば、サッカーチームの経営とか、選手の育成とか。日本中のファンが待ち望むドラマの実現に向け、今日もカズは走り続ける。

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