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石井千秋さん柔道史刊行=『ブラジル柔道のパイオニア』=「リオ五輪でぜひメダルを」

著書を持つ石井千秋さん

著書を持つ石井千秋さん

「相撲史は2冊も出ているのに柔道史は一冊もないし、早稲田海外移住研以来50年の付き合いだった谷広海さんが昨年突然亡くなった。今のうちに記録を残さなきゃと思い、なんとか自費出版しました」。石井千秋さん(72、栃木)はそう切実な表情を浮かべた。

この『ブラジル柔道のパイオニア』には前田光世、大河内辰夫、小川龍造、小野安一、内藤克俊、谷宗兵衛、深谷節、木原芳雄、倉知光、篠原正夫、岡野脩平、岩船貢、馬欠馬卯一郎ら錚々たる先駆者を初め、ブラジル人柔道家らの歴史が書かれている。
97年に日毎紙に載せられた同名連載を中心に、サ紙、日本の柔道雑誌に掲載された文章をまとめて大幅に加筆したものだ。柔道界内部に精通した石井さんだからこその経験談や知見に満ちており、熱のこもった躍動感のある文章で、一気に読者を引き込む勢いがある。ミュンヘン五輪でブラジル柔道界に初のメダルをもたらし、今年渡伯50年を迎える石井さん本人の人生に関しても振り返っている。
石井さんは64年の東京五輪代表選手に惜しくも選ばれなかった失意の中で、早稲田大学卒業式の翌日、同年4月に移民船に乗って渡伯した。「大農場主になろう」と一端は柔道を捨てたという。
ところが誘われて参加した全伯柔道大会に初出場して優勝を飾り、1年半の南米武者修行を経て、倉知道場に草鞋を脱いで生徒を鍛えた。教え子が大会で次々に好成績を上げるのに、ブラジル籍がないばかりに自分は参加できなかった。そんな時、ブラジル柔道連盟のアウグスト・コルデイロ初代会長から帰化を口説かれた。
戦前からの柔道指導者の大半は「日本で覚えた柔道なら、自分で出場しないでブラジル人に教えるべきだ」と帰化に反対した。だが倉知光さんは「今世界の一角にブラジルの旗を揚げて、日系コロニアの存在を認識させるんだ。そしてブラジル人たちに『あいつがやれたんだから、俺だって頑張ればできる』という自信を与えてやってみたまえ」と励まし、石井さんは帰化を決意した。
180キロのベンチプレスを持ち上げ、体重95キロの巨魁だ。それが岡野脩平監督の論理的な指導としごきの元で磨きをかけ銅メダルを獲得した。その五輪直後、一般社会はもちろん、コロニアでも大歓迎された。ブラジルは五輪メダルを102個獲得しているが、うち18は柔道が占める。その最初がこの銅だ。
「あの後、日本に行ったら裏切り者扱いされたよ。大学時代、俺ぐらいの選手は日本には2、30人はいた。でも五輪に出られるのは一人。俺は東京五輪の悔しさをバネに8年間、南米で修業を続けた。日本で『大学時代に俺に投げられたくせに』と言って来た奴に言い返したよ。『今やってみるか?』と」。後にも先にも石井さん以外に帰化選手で五輪メダルを得た者はいないという。
「コロニアがあるからブラジル柔道が生まれた」と繰り返す。7回も来伯した父勇吉と石井さんは連名で『黒帯三代 南米紀行・米州を制覇して』(71年)を出版した。その続編となる今回の著書は、稲門会やヤクルト商工の天野一郎社長らの支援を受け、ようやく出版の運びとなった。
石井さんは「いまは黒帯五代だよ」と笑う。娘3人が黒帯、さらに長女の娘も昨年のパンアメリカン大会で優勝を果たした。「リオ五輪ではぜひメダルを」と娘が果たせなかった夢を孫に託している。その次が、石井さん因縁の東京五輪だ。2020年に孫や弟子が金メダルをとったら、錦衣ならぬ〃金位〃帰郷だ。同書はニッケイ新聞ほか、日系書店などで50レアルで販売中。

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