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6月18日のMTSTのデモで埋まった聖市5月23日大通り(Oswaldo Corneti/ Fotos Publicas)
6月18日のMTSTのデモで埋まった聖市5月23日大通り(Oswaldo Corneti/ Fotos Publicas)

建物占拠運動に加わる難民=選挙年とW杯で動きが加速=ラ米やアフリカ人続々と

6月12日に市中央部で行われたLMDの抗議行動(Oswaldo Corneti/ Fotos Publicas)

6月12日に市中央部で行われたLMDの抗議行動(Oswaldo Corneti/ Fotos Publicas)

 選挙年は例年、種々の抗議運動(マニフェスタソン)が増えるといわれるが、コンフェデ杯が開催された昨年とW杯本番の今年は、通常の選挙年以上に抗議運動が盛んに起きている。抗議運動の中で最も多いのは賃上げや労働条件改善のためのものだが、大衆住宅建設などを求めるデモも相当数起きており、ホームレス(セン・テット)の土地や建物占拠運動には、諸外国からの移民、難民も数多く参加している。

ハイチ、ペルー、カメルーン

 諸外国からの移民や難民も住居要求や占拠運動に加わっている事を伝える報道の一つは、6月8日付エスタード紙だ。
 同紙によると、2013年に創設されたサコマン・ホームレス運動(MSTS)に参加する475家族が住んでいるサンパウロ市中央部の旧シネ・マロッコス・ビルは7階建てで、三つの階は外国人が占めている。同ビルに住む外国人の中で最も多いハイチ人は、52家族が2階部分に住んでいる。3階に住んでいるのはカメルーンとドミニカからの人で、4階はペルー人やボリビア人、ベネズエラ人が暮らしている。5階は同性愛者やトラヴェスチの人達の住居だ。
 同ビルの居住者には、内戦が続いていた西アフリカのシエラレオネからの移民などもいる。これら外国人居住者に共通しているのは、W杯直前に予定されているホームレスの大衆住宅要請運動などにも率先して参加している事だ。
 ホームレスの人々の住居要求運動には、MSTSやホームレス労働者運動(MTST)、尊厳ある住居獲得への闘い(LMD)、皆のための住居運動(MMPT)、住居のための闘争前線(FLM)など17のグループが参加している。彼らの要求は、サンパウロ市の総合開発計画案(プラノ・ジレトール)にホームレスのための大衆住宅を建設する土地の確保と住宅建設案の速やかな承認だ。

基準厳しい大衆向け住宅

 外国人がこのような運動に参加する背景には、従来の大衆向け住宅供給政策の基準が、彼らには厳しいという現実がある。
 連邦政府の持ち家政策である「ミーニャ・カーザ、ミーニャ・ヴィーダ」などの住居政策の対象になるのは、最低でも5年間定住し、RGなどの書類を取得、子供が学校に在籍中といった条件がある。そのため、移民や難民がこれらの政策の対象となるのは容易ではない。
 2012年以降に路上生活者らが占拠したビルはサンパウロ市中央部だけで50軒あり、居住者の10%はアフリカやラ米諸国出身者だという。サンパウロ市市役所によると、これらのビルの居住者は約2万人というから、市中央部では約2千人の外国人がビル占拠中という事になる。
 これらのビルの居住者が納める額は月30~220レアルで、市中央部にあるコルチッソやペンソンと呼ばれる簡易宿や東部のファヴェーラよりずっと安い。
 また、同郷の人と一緒に住む事が出来るという魅力もあり、ボリビア人やペルー人、アフリカ人らが次々に集まって来る。ホームレス運動のリーダー達によれば、これらのビルの居住者はブラジルに着いても就職したり家を借りたり出来ず、様々な困難に直面してきた人ばかりだという。
 居住者全員に揃いのシャツを着て抗議行動に参加する事を義務付けているMSTSは、市中央部で七つのビルを占拠している。市役所側は「最低でも1年間は占拠が続いていないと路上生活者用の住居としては認めない」と明言しているため、シネ・マロッコスはその対象からは外される。
 1980年創設で7カ所を占拠しているMMPTの指導者の一人は、ゴイアス州から家族で移住してきており、9歳の時にペンソンを追い出されてからは無人ビルなどを占拠して住み着くという生活を繰り返してきた。大学で企業経営を専攻したというこの女性は、ホームレス運動を組織化するために5年前に祖国を離れたというイタリア人の夫と、生後7カ月の子供と共にMMPTが占拠するビルに住んでいる。
 ホームレスの組織による主な抗議行動は5月だけで3件あり、22日には1万5千人が参加。6月も4日に1万2千人を動員、18日もMTST3千人が5月23日大通りを埋めるなど、大小の抗議行動が続いている。

サンパウロ市で急増するハイチ人

 サンパウロ市では4月以降、ハイチ人が急増し、市が特別の収容施設を用意したり、同国大使館の事務所を急遽開設との話が出たりもした。ハイチ人の急増は、2010年の大地震後に始まった同国からの不法移民の最初の受け入れ地となっていたアクレ州が、記録的な洪水などの理由で移民収容所を閉鎖する事になり、4月だけで約800人のハイチ人がバスで送られてきたためだ。
 シネ・マラバーでアンゴラから来た難民のマンブエ・ロシさん(40)など、コンゴやシリア、イランなどからの難民70家族が3D映画を初めて鑑賞との記事は6月5日付フォーリャ紙のものだが、サンパウロ市はもともと世界各国からの移民や難民も多い。
 移民大国ブラジルが経済発展することにより、グローバル化した世界の難民などの社会的な弱者がますます押し寄せている。大挙してやってきた彼らは、国内の弱者向けだった社会運動に呑みこまれ、その一翼を担う時代になってきたようだ。

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