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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(10)=反感持つサンパウロ州の有力者ら=カテテ宮にも頻繁に出入り

「政治目的なきジェトゥリオ・ヴァルガス氏のサンパウロ旅行」と報じる1952年10月7日付エスタード紙

「政治目的なきジェトゥリオ・ヴァルガス氏のサンパウロ旅行」と報じる1952年10月7日付エスタード紙

 松原耕地にはサンパウロ州知事が待っており、実際に会談しているのに、1952年10月7日付エスタード紙は4面で《政治的目的なし》と断定した。《ルカス・ガルセス氏はその場に居たが、だからと言って政治的意味はなかった。共和国大統領が来たことへの敬意で知事は言い訳のように立ち会っただけで、この奇妙な訪問を正当化するものではない》(同記事)と断言した。
 というのも、大統領とサンパウロ州知事の松原耕地での懇談には、《何の新案件もなかった。なぜなら最近、ポルト・アレグレで知事会があったばかり。おそらくサンビセンチでの市長会で、二人の懇談がもたれると思われていたのが、意外な場所が選ばれたことがスルプレーザ(驚き)だった。しかも松原耕地へは、地元のジャーナリストも入ることを許されなかった》(同記事)
 知事がサンパウロ市に戻った直後、ジャーナリストが会談内容を知ろうと駆けつけたが、《避けられた。共和国大統領はマリリアで一泊し、リオに帰還した》(同記事)とある。
 エスタード紙の行間からにじみ出ているのは、1932年の護憲革命でたくさんのサンパウロ州兵を殺した連邦軍への復讐心や、大戦中に新聞を検閲したり、発刊停止を強行したりした元独裁者に対する明らかな敵意ではないか。
 サンパウロ州の大勢はヴァルガスに敵対する雰囲気であった中、元敵性移民として独裁政権に迫害された日本移民が擁護しているという〃奇妙さ〃。その構図が、同紙記者をして納得できない反感を行間に滲ませている。そんなサンパウロ州有力者層の雰囲気を敏感に感じ取っていた当時のコロニア指導者や知識層は、松原の功績をあまり大きく讃えるような文章を残してこなかったのか…。
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 松原とヴァルガスの付き合いはそれだけにとどまらなかった。「ヴァルガスは故郷の南大河州サンボルジャの農場から牛や馬を、飛行機でマリリアの松原の農場に送るということもした」と祐子さんは証言する。
 また、大統領は色々な催しに松原を招き、松原はカテテ宮に通い、日本政府からの要人が来たときの対応をした。祐子さんは「彼はある時期、ほとんどカテテに住んでいたようなもの。何も約束もしていなかったときも『大統領をお願いします。松原安太郎です』って言って、ガビネッチ(執務室)に出入りしていたみたい」との逸話も明かした。
 1951年に大統領に再就任したヴァルガスは、松原の頼みを聞き、同年から日本移民導入の調査を始め、52年8月にリオの移植民審議会が日本移民入国申請を承認、同10月にヴァルガスは松原農場を訪問した。その直後、中西部・北東部に8年で4千家族を導入する計画をひっさげ、松原は移住者募集や準備のため同11月に一時帰国した。
 これを「錦衣故郷に帰る」と表現せずして何というか。この時が松原にとって人生の絶頂期だった。(田中詩穂記者、深沢正雪記者補足、つづく)

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