ホーム | 日系社会ニュース | ピンダ文協会館落成50周年=青年の熱気に押され建設=半世紀の歴史を刻む建物
祝福に駆けつけた海藤三味線教室と文協役員ら
祝福に駆けつけた海藤三味線教室と文協役員ら

ピンダ文協会館落成50周年=青年の熱気に押され建設=半世紀の歴史を刻む建物

 サンパウロ州東北部のピンダモニャンガーバ日伯文化体育協会(森ジョルジ会長、以下ピンダ文協)は11月9日、同会館落成50周年祝賀会を行なった。
 1964年の落成から大きな節目となる半世紀の歳月の記念日を、海藤三味線教室の洗練された演奏、JICA青年ボランティアの日語教師・神田和可子さん指導による合唱やスピーチ、舞踏、ビンゴなどのプログラムで、会員らは一日を楽しく過した。
 同文協顧問の鈴木武さんによれば、会館建設は「青年会の熱意」によって実現したという。文協創立は52年3月1日だが、それ以前から野球、柔道、相撲の青年交流が行われていた。そのため、近隣サンジョゼ・ドス・カンポス市に存在するオリオン・クラブや、ジャルジン・パライゾ文化協会、BBCクラブなどの日系団体に所属する青年らの呼びかけで、「青年連盟」結成の機運が高まったという。
 ピンダ文協にも通知が届きサンタ・イザベル、イタペチ、ジャカレイ、タウバテ、カサパーバなど全10地区からの代表者が会議を行なった。協議を重ね57年、名称「汎パライバ青年連盟」として発足、初代理事長(会長)を鈴木さんが務めた。
 500人以上からなる大所帯の同連盟は、戦後まもない当時としては、就学よりもスポーツ競技に打ち込み、同57年12月には第1回のど自慢大会を開催するなど活発な取り組みを重ねた。
 サンタ・イザベル、イタペチ、ジャカレイなど構成団体の一部は、当時すでに自前の会館を持っていたが、ピンダ文協にはなく地元の青年から会館建設を希望する声が高まった。63年の役員会で当時会長の渡辺保国さんらに意向を伝え、反対意見もあったものの、青年らの熱気に押される形で賛成多数となり、建設に向け動き出すことになった経緯がある。
 会館は幅10メートル、奥行き25メートルという規模。敷地は笠戸丸以前の〃神代の時代〃に渡伯し、1916年から同地で米作を成功させた故安田良一さんが提供した。建設費用は多額の寄付から成り立ち、入り口壁面に芳名が並んでいる。
 会館設立から青年連盟も盛んな交流を行なってきたが、現在は各支部の青年会消滅により解散した。会館そのものは50年の年月を経て、建設時の苦労や努力に感謝しつつ、今もなお会員相互の大切な交流の場として活用されている。

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