〃監獄島〃として有名なサンパウロ州北部海岸地帯のアンシェッタ島に、終戦直後に収容されていた170人余りの日本移民を顕彰して「臣道聯盟の蛇口」(Bica Shindo Renmei)と名付けられた水源地ができていたことが分かった。リベルダーデ歩こう会(小笠原勉コーディネーター)一行35人が11月22、23日に訪れた折りに判明した。公に臣道聯盟の名がついた場所は、全伯でもおそらく唯一と推測される。
「やっと日本人が霊を慰めにやってきたよ」。島の船着き場に客船が到着すると、一行からはそんな声が聞かれた。
1908年に設置された刑務所施設には、全伯から最も凶悪な犯罪者や政治犯ばかり選りすぐって送致された。そこに1946年から48年にかけて170人余りの日本移民も収容されていた。
46年に勃発した勝ち負け抗争で、殺害事件を起こした当事者約10人も送られたが、それ以外の大半は、勝ち組最大の組織・臣道聯盟の本部やサンパウロ州各地の支部幹部で、DOPS(政治社会警察)の取り調べで御真影や日の丸を踏まなかったものなどが送られた。
兄弟に勝ち組強硬派がいたというだけで、サンパウロ市の政治社会警察(DOPS)やこの島で受けた拷問が元で精神病となり、後に服毒自殺した池田福男さんの存在もいる。
日本移民が釈放された後、再びブラジル人凶悪犯、政治犯で一杯となった。監獄内の扱いのあまりの悪さに、1952年6月に大暴動が起きて118人(囚人110人と看守8人)が死ぬ大惨劇に発展し、当時、ブラジル史上、最悪の刑務所暴動として国際的に問題視され、55年に閉鎖された。
これは1992年のカランジルー刑務所大虐殺が起きるまでは、ブラジル史上最悪の刑務所虐殺と言われた事件だった。反乱時の看守の大半は、日本移民抑留時に居た者たちだったはず。日本移民は同じ待遇の中でも大半が模範囚として過ごした。
一行を案内した施設の説明員ファビアノ・テイシェイラさんは「こんなにまとまって日本人が来たのは初めて」と驚いた。数年来、観光客が増えており、W杯の折りにはチリ人やオランダ人、アメリカ人の集団が訪れたという。
「臣道聯盟の蛇口」は刑務所跡から右側に徒歩5分ほどの海岸沿いにあり、「いつ命名されたのか僕も正確には知らない。でもここに居た日本移民を顕彰して付けられた」という。奥原マリオ純監督の実録映画『闇の一日』(2012年、IMJ)のロケ地となり、再注目されたこともあり、管理責任者ルイス・ビテッチさん(当時)が名付けた。
同映画の最終場面で日の丸を広げる役をしたビジランテのカルロス・バカリネさん(32)は「すごく感動的な映画。日本移民がここにいた歴史が画面に刻まれている」と振りかえった。
祖父が第2回移民という一行の山室久恵さん(72、三世)は「興味深い歴史がここにはある。笠戸丸と同じ年に刑務所が設置されたのにも奇縁を感じる」としみじみ語った。竹内富士枝さん(73、福井)も「ここで亡くなった人の霊が今も漂っているみたい。何かもの寂しい感じがする。簡単な法要でもいいからあげたかった」との感想をのべた。
「日本移民展示なくて寂しい」
アンシェッタ島の監獄資料館には、2カ月前にブルガリア移民子孫が来て設置を要請した展示があった。
説明員テイシェイラさんは、「1926年にブルガリア移民ら2千人がこの島に入植させられ、マンジョッカ・ブラーバの毒抜き処理の仕方を知らずに食べて死者がかなり出た。その顕彰をするために子孫がきて記念の展示物を張っていった」と入植者の名前の書かれた一覧表を見せた。
なぜこの島に2千人もの東欧移民が導入されたのか――。その展示を見ながら一行の一人、田中晴則さん(65、広島)は「日本移民の展示が全然ないのは、寂しいね」とつぶやいた。(深)