ホーム | 日系社会ニュース | 書評=『一粒の米もし死なずば』(著者 深沢正雪)=伊那 宏=(上)
菅沼東洋司・画のイグアッペの聖堂(『森の夢2』 醍醐麻沙夫著、1977年 サンパウロ新聞連載より)
菅沼東洋司・画のイグアッペの聖堂(『森の夢2』 醍醐麻沙夫著、1977年 サンパウロ新聞連載より)

書評=『一粒の米もし死なずば』(著者 深沢正雪)=伊那 宏=(上)

 私が本書を繙くきっかけになったのは、イグアッペ植民地やレジストロ地方について特に興味を喚起されたから……ではない。本書冒頭に載っているイグアッペ市の中心にある教会の写真に、ふっと遠い日の記憶を呼び覚まされたからである。それはもう五十年近い前のことになる。
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 サンパウロ州南西地帯を貫く国道BR一一六号線をビグアから入って、イグアッペ街道二百キロを示す標識があるところで降りるとすぐ、街道に面したその一画に友人Yが住んでいた。市街地から二キロほど離れた海抜一メートルに満たない平坦地であった。同県人であり同じ耕地で働いていたというだけでなく、文学の道に二人で入り込んでしまった仲間として、Yとは着伯間もない時期からの付き合いであった。
 Yは十年以上イグアッペに住んでいたが、或る年の大洪水によって、上床式の家屋の軒下まで浸水するというアクシデントに遭遇し、長年住んでいたイグアッペにすっかり愛想をつかしてしまった。洪水はそれまで小規模なものまで入れれば何回ともなくあったのだが、その年の大洪水を契機に、Yは隣接の町レジストロへ移転して行った。町から四キロほど離れた国道沿いの小さな耕地であった。
 そこで十年ほど暮らし、今から二十三年前、町からさらに外れた山中に十六アルケールの土地を購入して、ぼつぼつ移転しようと準備し始めていた矢先、Yは忽然と行方を絶ってしまったのである。土地売買に絡む事件に巻き込まれたのだろうとも予想され、現地警察や日本人会の必死の捜索にもかかわらず、Yはとうとう発見されることはなかった。生涯伴侶に恵まれず、独身のままこの南聖の地に一生を閉じてしまったのである。
 そういったいきさつがあって、私はこの地に特別な思いを抱いており、それはいまだに消え去ることのない鮮烈な思い出として私の中に生き続けている。そして、本書でイグアッペ市の教会の写真を見たとき、私は何物かに誘われるようにページを繰り始めていたのである。
 Yがイグアッペに住んでいたころ、私は毎年正月にその地を訪れた。Yの案内でそのつど教会のある市街地を見歩いたり、付近を散策したり、イーリャ・コンプリーダの海岸までバルサに乗って出向いたりした。
 また、当時サンパウロ新聞で連載を始めた醍醐麻沙夫氏の連載小説『森の夢』の挿絵を担当した関係で、第一部「平野植民地」が終わって第二部「桂植民地」が連載され始める少し前に、現地イグアッペの桂植民地跡をくまなく取材し、辺りの風景をスケッチ・ブックに描きとめてきた。そんなこともあって、私の人生においてこの地は、他地方とは些かちがった思い出の深い土地なのである。
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 さて、前置きが長くなってしまったが、本書の内容をここで読者に知って頂くのがこのレポートの主要な目的。さらには、思い出深い地のそこに展開されてきた歴史を知ることもこれまた私の望むところでもある。遠大かつ壮大な植民地物語の一こまの中の、ほんのわずかな年月をこの地で生きた友人Yを想い偲びながら、私は本書を繙き始めた。
 『一粒の米もし死なずば』。このタイトルからくる印象は読者を捉えて放さないものがある。多くの人は「一粒の麦もし地に落ちて死なずんば…」の聖書の一節(本書末尾にこのくだりが解説されている)を思い起こすであろう。本編の舞台である桂植民地の場合は「米」であるから、この一節を捩(もじ)っているのは明白で、それはこの長編を貫くテーマを象徴させるにうってつけのタイトルであると納得できるものだ。
 ところがよくみると「米」の字が斜めに置かれ、しかも色を変えて印刷されているのが分かる。何かを暗示しているのは必定で、本編で作者が言いたいことが象徴的に表示されていると見ていい。本書の帯に書かれた文章は、その作者の意とするところを如実に物語っていると言える。
 紹介してみよう。
 ――サンパウロから南西に約二○○キロ。一九一○年代に日本人移民によって開拓されたイグアッペ植民地の中心地域レジストロ地方。そこは食糧不足の明治・日本に米を供給するための移住地だった。波乱万丈の苦闘の歴史から百年後の到達点まで、南米に根を張った気骨ある明治の日本人の舞台裏にせまる渾身のノンフィクション!
とあり、さらに裏表紙の帯には、
(中略)――レジストロ地方はサンパウロ南西一八五キロにある総延長四七○キロのリベイラ河最下流の、六万人の住む日本人が端緒を作った町。笠戸丸移民から四年後の一九一二年三月、青柳郁太郎が代表を務める「東京シンジケート」によって設立された移住地である。試行錯誤にも関わらず目的であった米作りはうまくいかず、戦中は「枢軸国側の敵性国民」として日本移民は迫害された。戦後、紅茶の栽培で生まれ変わり、コーヒー王国に「紅茶の都」として栄えた。
 と本編の真核心となる部分が述べられている。(つづく)

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