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チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(9)

   (3)梱包の歌集は日の目を見た

 昭和十九年の七月某日の午過ぎであった。私は運搬業をしているK君から一通の封書を受け取った。
 開封してみると「あなたの望んでいる品が一昨夜着いた。直ぐ来い」とだけ書いてある。ペレイラ・バレットス市の「鈴蘭商会」の奥さん(北海道出身・今泉氏)からである。来た!本当に来たのだ。夢ではない。私の胸は高鳴った。
 丁度コーヒーの時間であったので、私は事情を祖父に話して明日ペレイラ行きの許しを得、大急ぎでコーヒーを飲み終わると、表につないであった裸馬に飛び乗り、早駆けで田中家へ向かった。五百メートルほどの近距離である。
 いい按配に鈴木千代吉君は家の後ろの畑で棉木の抜根をしていた。
「オーイ 千代吉さん。朗報だ 朗報だよ」私は声を張り上げて件の封書を右手にかざして馬を畑に乗り入れた。
「なに 朗報だって? 日本大勝利か、それとも戦争が終わったのか」
「いや 戦争のニュースではない。僕のとっておきのニュースだ。まずこの手紙を読んでみてくれ」と言って馬から飛び降り右手にかざしていた封書を渡した。
 彼は一読するや否や、「何だ、この文面は、まるで電報同様ではないか、『あなたの望んでいる品が一昨夜着いた。直ぐ来い』望んでいる品とは一体何なんだ。俺は鈴蘭さんに物を注文した覚えはない」と大声で言う。彼は生まれつき大声なのだ。
 「尤もだ。これから詳しいことを話すから聞いてくれ。実は先月祖父の医薬を買いにペレイラ市に行った時、鈴蘭商店へ寄って文具を求めたのだが、他に客も居なかったので奥さんと本の話をしたのだ。戦争のために日本から本が来なくなり毎晩同じ本ばかり見ている。早く戦争が終わって新刊書が来るようになって欲しい。と話したんだ。そしたら奥さんが、『もしかしたら、本が沢山手に入るようになるかも知れない。手に入ったら真っ先にあなたにお知らせする。でもこの事はあなたひとりの胸に蔵っておいて誰にも話さないでください。万一ということがあるからねー。警察の耳にでも入ったら大変な事になる。本は没収された上に全部焼かれて仕舞い、その上私ら夫婦はカデイヤに入れられる。だから本が着いて知らせがあるまで誰にも話さないで下さい』と口止めされたのだ」
「ヨシ、分かった。相変わらず君は口が固い。親友の俺にも話さず今日まで黙っていたんだからナー」
「それで僕は明日行くことにしている」
「そうか、俺も一緒に行く。家のほうは大丈夫だ。みんな書物に飢えているから大喜びするよ」
「大内君と吉川君には千代吉さんが知らせてくれ。持っていく物は棉の空袋を一人が六枚、馬の餌のミイリョ、それから帰りは夜中過ぎになるからオーバーを忘れずに持っていくこと、出発時間は朝の五時、それまでに僕の家に集まってくれ、お金を忘れんように頼む」
「ヨシ、分かった。有り金全部持って行く。大丈夫だ。心配するな」
「では僕はこれで失敬する。鈴木君と鈴江君に知らせねばならないから」と言って馬に飛び乗り今来た道を引き返した。
 鈴木君も鈴江君も行くことに決まった。
 その晩、私は今までよりも多くミイリョを馬に与えた。綿の空袋六枚とミイリョも荷づくりした。
 夕食後、少し熱めの風呂に入って身体の芯まで温もって早く床に就いた。
 明日はどんな本を手に入れることが出来るか、歌集が有るといいのだが……などと思いおもいしている中に眠っていた。
 朝四時半起床、歯を磨き、顔を荒い、牧の馬を呼んでミイリョを四、五本与えて自分の支度にかかる。百姓の朝は早い。

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