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軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第19回=ついに万次本人の顔写真発見

CMCには「Família Mange」と大書きされた展示スペースには、万次本人と子どもたちの写真があった

CMCには「Família Mange」と大書きされた展示スペースには、万次本人と子どもたちの写真があった

 オリメシャ一族のことをネット検索している過程で、気になる名前がでてきた。オリメシャ家と並ぶ日本に血筋を持つサーカス一族として「Familia Mange」が頻繁にでてくるのをみて、「もしかして万次の子孫か!」と合点した。「万治」がなぜか「マンジェ」に変わってしまった。しかも、本人名が家族名のように扱われている。
 ブラジルの場合、家族名より本人名が有名になることがよくある。ジウマ大統領の苗字は「ルセフ」だが、ブラジルでは誰もルセフ大統領とは呼ばない。ただし、日本のマスコミは慣習的に苗字で呼称する。ブラジル式を日本に当てはめれば「晋三首相」と表現しているようなものだ。ルーラ前大統領しかり。
 たとえば「Sao Paulo – Minha Cidade」(10日参照、http://www.saopaulominhacidade.com.br/historia/ver/3169/O+circ)には、《日本人、Takissawa Mage、Mange家の先駆者の存在もあった。20世紀の初めに、イタリア移民の家系でサーカス一家に属すアイダ・ベルトラミを結婚し、新たなサーカスの血筋を作った》と書かれている。
 鈴木南樹が《ウルグアイ国モンテヴィデオ市で興行中にイタリア娘と結婚》と書いた万治の妻は、このアイダ・ベルトラミだ。てっきりウルグアイに入植したイタリア移民の娘かと思ったら、ブラジルに移住したサーカス一族だ。
 『O Circo No Brasil(ブラジルのサーカス)』(Antonio Torres, Alice Viveiros de Castro, Marcio Carrilho, Atracao/Livros, 1998)13頁には、Oyama, Fukssima(Fuquita), Togo, Olga, Amelia, Aliceraらと「シルコ・インペリアル・ジャポネース」を作って興行して回ったとある。
 「Familia Mange」でネット検索をし直すと、今度はCentro de Memoria do Circo(CMC=サンパウロ市立サーカス記録センター)にその展示があることが分かった。09年にサンパウロ市文化局が設立した博物館で、レプブリカ区サンジョアン街473番のガレリア・オリド(元映画館)に展示スペースがある。
 さっそく取材に向かうと、20前後も紹介されているサーカス関係者の有名家族一つに、なんと「Familia Mange」と大書きされたスペースを発見。移民史の本には出てこなかった、初めて見る万次本人の顔写真だ!
 しかも6人の子どもたちと一緒の家族写真、さらに子孫アメリアの1978年の写真まで展示されていた。やはり、子孫は続いているようだ。
 展示の説明文は次の通り。《Takessawa Manje(竹沢万次)は工業を生業とする家の息子、19世紀末に「Circo Imperial Japones」を伴って渡伯し、アクロバット、バランス技、パントマイムなどを駆使した「O orangontango」「O Encanto ? delicada fantasia minica do pais das cerejeiras em flor」などの演目で名を馳せた。竹沢はおそらくブラジルに最初に居ついた日本移民であり、アイダ・ベルトラミと結婚し、9人の子をもうけた。Oyama(オヤマ)、Fukissima(フキシマ)、Togo(トーゴー)、アメリア(コロンベッティと結婚)、オウガ、ジェルマーノ、クロチウデ(ピオリンの弟、ラウル・ピントと結婚)、アリッセ、イザウラ(アンセウモ・オゾン通称〃カマロン〃)と結婚》。子供たちは綱渡り、アクロバット、マジックなどの卓越技能者集団を作った。「サンパイオ・サーカス」としてブラジル中を巡業し、後に「竹沢万次サーカス」と名乗った》とある。
 鈴木南樹の『足跡』には《4人の息子、3人の娘》とあるが、実際はもっと多かった。(つづく、深沢正雪記者)

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