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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(12)

 兵譽は通行許可書(枢軸国の移住者には必携だった)をもっていなかった上に、そのころ、禁止されていた日本語のパンフレットの包みを抱えていた。
 通行許可書はオレンジ色の手帳で、その所有者がどこからどこへ行くのかを書き込むスペースがあった。手帳の裏表紙には通行を許可する行動範囲が書かれている。

(1)本手帳の所持者は一定の区間、並びに期限内に旅行の許可を申請することができる。
(2)目的地に着くと同時にそこの関連役所に出向き、しかるべき書き込みのために手帳を提示しなければならない。
(3)目的地を後にする時は再び行き先への許可を得なければならない。
(4)査証は一度の往復に限る。
(5)査証の期限が切れた場合、必要に応じて、期限切れの査証を見せて、手帳の再発行を申請しなければならない。
(6)本手帳の所持者は乗り物に乗る場合や旅行中には、本手帳と共に、求めに応じて、本籍を証明する書類の提示が義務付けられるものとする。

 こうして、兵譽は一九四二年四月一四日に逮捕された。この日から罪人となり、兵譽の法廷での長い戦いが始まることになったのである。イツーで拘留された時の当番刑事は次のような報告書を書いている。

 『イツー市にて逮捕され、ソロカバ地方警察署より要請のあったヘイタケ・タイラを当国(国=Paizのスペルが2カ所間違っていた。先ず、“i”にアクセント記号がないのと、最後は“z”でなく“s”で書く)は有害なる活動を行っていた事により、当管轄内の拘置所に留置し、社会政治安全警察署長に依託するものとする』

 イツー市は、一八七九年に最初の共和党大会が開催されたところから、ブラジルの共和主義発祥の地とされている。
 兵譽がソロカバ市に連行された時に一夜を過ごしたイツーの拘置所は、大きな由緒ある建物で、まだペンキが新しかった。造りはシンプルで、大きな二枚板のドアが中央にあり、その左右に窓が三つずつ並んでいた。ドアから入るとすぐ書記官の机があった。その書記官が警官や囚人が最初に話す人物であった。
 署長は廊下の左奥、以前は寝室であったろうと思われる部屋に陣取っていた。拘置所は廊下のなかほどにあり、違うのはドアの代わりに鉄の格子戸がはめてあったことくらいである。
 部屋には既に三人いて、兵譽はそこに入れられた。一人は、巻きタバコを盗んだとされ、バールで喧嘩しているときに捕らえられた若者だった。もう一人はボロをまとった老人で、放浪罪で捕らえられていた。
 もう一人日本人がいた。通行許可書を携帯しているにもかかわらず、怪しいと捕えられていたが、このフイタロウ・ニシムラという日本人は親戚の者がまもなく出頭してきて、「ファゼンダ・ド・ショコラテ」という農園に砂糖黍やコーヒーの畑の仕事に出かけるところだったことが証明されて釈放となった。この「ファゼンダ・ド・ショコラテ」は広大な面積を有し、三世紀ほど前にバンデイランテス(奥地探検隊)によって開発された農園だということである。
 その晩、兵譽と囚人たちは牛乳コップ一杯、パンとスープを一皿受けとった。この食事は、この数日間に食べたどの食事よりも食事らしいものだった。看守が老齢の囚人を名前で呼んだことで、もう長い間の知り合いであることが分かった。浮浪者は食事にありつくために悶着を起こしては、留置されているのであった。
    ☆   
 兵譽の拘留がツパン植民地に知れわたったときに、「大政翼賛同志会」のメンバーや家族は、事情聴取に呼び出されるものと心配していた。
 しかし、何日経っても誰も現れなかった。バストスで小さなホテルを経営していた本田ミノルなどは兵譽と親しかったので、自分も取調べを受けるのではないかとひやひやしていた。本田家は当地では多少名が知られた名士で、日本人移住者としてはかなり豊かな生活をしていた。
 本田氏経営のホテルは「大政翼賛同志会」の会議場として使用されていただけでなく、漢字で書かれた書物がずらりと並んでいる図書室を隠し持っていた。その多くは兵譽の所蔵本だった。そんななか、兵譽の母幾千代はいつもと変わらない生活を送っていた。
 いつも留守で頼りない長男がいなくなったからといって、何の支障もないように振舞っていた。兵譽の投獄で家族が動揺しないように、いつもの生活を維持するための賢い方法だった。

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