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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(33)

 そのうちパウリスタ新聞、サンパウロ新聞にチラホラと記事になり出すと思っていたら、今野氏が全伯民謡で優勝し、千年は日本民謡協会ブラジル支部の役員に。何が何んだか、わけが解からないうち、盛んに宮城県人会、福岡県人会、岐阜県岐阜市と盛んに交流を始める。
 「サーテ、お立会い」とばかり、千年君は花柳流日本舞踊にまで触手を伸ばす。このように止まるところを知らず、盛んに日本とブラジルを行ったり来たり。カンピーナス市は岐阜市と姉妹都市を結んで日も浅く、試行錯誤。そのところへ、千年君が出現。日本とブラジルの諸々団体の交流、または県、市の文化交流の御世話を盛んに進めて行くが、かなり経費もかかると見られるのに、それでも役員職には興味を示さない。ただ舞踊、浪曲、民謡、カラオケには異常までに興味をしめした。
 日本のカラオケブームに感化されたか、日本のカラオケ用具を持ち帰り、それをそっくり当時地元文化協会に持ち込み、気の合った呑み友達十人ばかりで歌い始めた。これが案外好評で、アッと言う間に我も我もと押しかけて、ただの呑み友では済まなくなった。時は正に一九七五年、まわりの後押しで、千年太郎発起人となりカンピーナスカラオケ愛好会の発足となった。
 それ故、他方サンパウロ市の民謡、浪曲、カラオケ、演劇などなどに顔を出し、芸能界ではカンピーナス市には今野、千年、二人の変わり者あり―と常連になって行った。
 以上のような団体に、当時は奥さんを必ず同行する。時には団体の役員会だから、そんなところに二世の君達は日本語ばかりでつまらんだろう、とシネマ館(現在の愛知県人会館)に連れて行き、そこで奥さん二人をシネマ館に入れて今野、千年は真っ昼間からスナックで呑んで歌ってカラオケの〝お勉強〟と、いい気なもの。こんな暮らしを彼らは四十代から六十代まで続けていた。誠に不思議な道楽。この二人、知る人ぞ知る、煮ても焼いても手のつけられない馬鹿遊び人。
 こんな二人のような気の合った人間、見たことない―と自分たち自身が言っていた。兎に角、カンピーナスにいる時は、必ず二人は一緒なのだった。
 その様な生活が、千年君と二十数年続き、二〇〇〇年二月に今野氏を病で亡くし、千年君は世間から全ての役職任務を放棄、隠居の身を選ぶ事とあいなる。
 不思議なほどばったりと、千年君の動行仔細は世間から消えた。それは一九九二年に日本に単身帰国したのだ。それは余りにも不規則で放蕩崩落な道楽が祟り、身の破滅。加えてブラジル経済も衰退、インフレは月々一五〇パーセント以上と、破滅的高騰が吹き荒れていた。母国日本もご多聞に漏れず、徐々に不景気に突入。出稼ぎブームがジワジワと脅かされつつあった時代の日本行きに、世間は太郎のこの没落を、それ見た事かと喜んだに違いなかった。
 が、しかし、さにあらず。想わぬ方角に導かれ、悠々自適に幸運を迎えていた。ブラジルで遊び呆けた見返りは余りにも大きく、没落して気付いた時には、到底返済不能な大借金を背負い、当時としては返済出来ぬ金額まで膨らんでいた。自業自得の失態は、親子離別の事態まで想定し、覚悟してのブラジルからの逃避行となった。勿論、夜逃げ同様の一人旅だ。
 千年君。さーあ、どうする。グァアルーリョス空港からのお馴染み真夜中の便、日航機見送り人とて無く、隠れて密かに乗り込んだ。手荷物は無い。懐の財布の中身はさらになし。みすぼらしい姿は、カンピーナスの千年とは偉い違いである。

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