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道のない道=村上尚子=(9)

 なので、その辺の男でも大抵三人も、女を持っているとのことである。
 話は戻る。
 その店での買い物は、ツケが利く。経営者の、ジョンソンが肩代わりをしている。二年後に、私たちが受け取るはずの、仕事賃から差し引いて、精算されることになっている。なので、現金の顔も見たことがない。
 この食料の買い入れは、馬に乗って行く。これは弟の受持ちなのだが、ある日私がお使いすることになった。その時、うっかり自分の背が低く、足が短いことを考えていなかった。毛並みのさえない、白色の馬である。背は高い。何度も何度も、ぶら下がっている轡(くつわ)に、足をかけて見るが、難しい。なにか踏み台はないか、見回したがなにも無い。
 その時、妙案が浮かんだ! 道路ぎわが、少し畑より低い場所がある。私はこれに目をつけた。そこへ馬をひっぱって行って、その段差のある所へ、引き寄せた。ついに乗ることは出来た。
 道筋は複雑でないのに、すごい方向音痴の私である。けれども馬というのは一度でもそこへ行くと、よく場所を覚えていて、乗ってさえいれば黙って連れて行ってくれると聞いている。なるほど間違いない。ちゃんと私を乗せて行き、用が済むまで待っていて、連れて帰ってくれた。
 帰りの時は、私がヨタヨタするので、パラグアイ人の男性が手を貸してくれた。ただ、エッ! と思ったのは、時々この馬が背中を揺するのだ。丁度、母親が背中の赤ん坊がずり落ちそうになると「ほいっ!」と揺すり上げるように。まったくあれと同じやり方で、ぽっくりぽっくり歩きながら揺すり上げる。
 二度目の日のこと。私は思わず腹の中で笑ってしまった。出かける用意をして馬のたずなを取ったとたん、彼は見向きもしないで、例の土手へ直行した。あの段差のある場所へぴたりと体を寄せ、じっと私を待っている。忘れかけていた、その一件を彼はちゃんと憶えていたのだ。
 ところで一回目の日は私を揺すったけれど、この馬にとっては、たまたまあんなことをしたのだろうなあと考えていた。
「あの日は、そんな日だったのかも」
 と思いながら背中で揺られていた。けれども、
「又、同じことをするのかな?」と、気になってきた。
 早くも揺すった。ほんのちょっとでも私がずり落ちそうになると、いちいち揺すり上げた。この時、馬に揺られながら、母を想った。彼女もこんなふうにして、私を育ててくれたのだろうなあ、と。
 この日は、体中に母を感じながら、家路に向かった。

 食糧品は、主に塩、砂糖、油、それに米と豆くらいである。肉類も野菜の一葉もない。ほとんどのパラグアイ人は、アルファッセ(レタス)ひとつ食べなかった。ただ幸運にも、日本で食べたことのある草を見つけた。「ひいば」という緑の濃いものである。それが本当にひいばなのか? と思うほど三倍の大きさである。若々しく育ちがいい。いかに土地が肥えていたか…… 当分、この草で凌いだが、後にキャベツや他の野菜の種が手に入り、それらしい用意が出来るようになる。
 鶏は飼い始めていた。十羽くらいが鶏小屋もなく、庭のあたりをうろついていた。餌に穀物を与える余裕は全くなく痩せていた。これを月に二羽くらいつぶして、七人で食した。

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