ホーム | 連載 | 2016年 | 第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ | 第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(9)=元スペイン領、現パラナ州

第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(9)=元スペイン領、現パラナ州

中央がパラナ川。川上は浅瀬で中洲があり川幅が広い。セッチ・ケーダスを経て川下は急に川幅が狭くなる。右下がグアイーラの町。左上がマット・グロッソ州、左下がパラグアイ

中央がパラナ川。川上は浅瀬で中洲があり川幅が広い。セッチ・ケーダスを経て川下は急に川幅が狭くなる。右下がグアイーラの町。左上がマット・グロッソ州、左下がパラグアイ

 ラプラタ川の河口部から実に約2千キロもさかのぼった現在のグアイーラ周辺に教化部落が作られたのは1557年。なんと459年も前だ。
 日本なら戦国時代、川中島の戦いが起きた年だ。ポルトガル人商人が種子島に流れ着いて鉄砲を日本人に伝えたのは1543年だから、教化部落開設の14年前。そんな時代にスペイン人はここまで来ていた。
 サントスから60キロ内陸に聖市ができる発端となったイエズス会のマヌエル・ダ・ノブレガ、ジョゼ・アンシェッタ両神父による最初のミサは1554年。わずか3年しか差がない。
 スペイン人の植民地支配が、いかにポルトガル人よりも進んでいたかが分かる。
 ラプラタ河の上流にあるパラナ川は、パラグアイとブラジルの国境と形作る。どんどん遡るとイグアスの滝、さらに160キロさかのぼるとセッチ・ケーダス(7つの滝)があったグアイーラとなる。
 滝は船にとっては運行困難な難所だ。だから一つの目標地点として、イエズス会は河口から支流をどんどんさかのぼって教化を進めて行き、グアイーラ帝市という町を作った。会田さんによれば「インディオ住民1万1千人の人口があった」という。
 下流の方は亜国、パラグアイ、ブラジルの南大河州のイエズス会伝道所群「サンミゲル・ダス・ミッソンエス遺跡」に広がる世界遺産となっている地域だ。
 基本的にはトルデシリャス条約に従って、ポルトガルが支配する現在のブラジルの領域と、スペインが支配する領域に二分された。ところが、この境界線は武力によって実効支配地域がどんどん変わった。

一行に挨拶するグアイーラ文協の上村力男会長

一行に挨拶するグアイーラ文協の上村力男会長

 ポルトガル人の奥地探検隊バンデイランテスが聖州からどんどん西方に侵攻して領土の実効支配を拡げ、1631年にその教化部落を破壊しつくして占領し、インディオを奴隷として売り払ってしまった。
 会田さんによれば「筏を組んで、下流の方にスペイン人やインディオが逃げ延びたそうです。6千人以上が途中で亡くなり、無事にアルゼンチンのミッソンイスの方に生きついたのは4千人程度だった」とのこと。
 それ以来、ブラジル領に。パラナ州としては最も古い町の一つだ。トルデシリャス条約によって歴史が変わったそんな町ゆえに500周年式典が開かれたようだ。
 現在のイグアスの滝同様、セッチ・ケーダスも平面だった大河が、文字通り「七つの滝」の形をとって滝つぼに落ち込む壮大な地形であり、戦後もその勇壮な景色が有名な観光地だった。落差は10~60メートルと様々で、つり橋が掛けられ、戦後はこの滝の観光地として栄えた。
 現地ガイド、アナ・メネルさんは、「滝の落ちる音が24キロ先でも聞こえたほど。川下の町では、『滝の落ちる音が聞こえた次の日は雨が降る』と言われた」と説明した。(つづく、深沢正雪記者)

グアイーラの歴史を紹介するポ語の短いビデオ「Ana Menel Guaíra」(8分51秒)

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