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道のない道=村上尚子=(35)

 ある日のことである。
 家の前の庭に、親指の先くらいの蟻が飛んできた。羽が生えていて、空から飛んで来たのだ。飛んで来た蟻は、自分で透き通った羽を、ハラリと落として、庭一面に動き回っている。私はひらめいた。手を伸ばして蟻を拾い、その太い尻をもいで集めた。ものすごい数の蟻だ。鍋に半分になったら、これを火にかけ炒ってみた。
 子供たちを呼んだ。初めそーっと手を出していた娘たちは「オイシーイ!」と云って、まるでお正月でもやって来たような喜びようで、食べてくれた。私は心の中で子供たちへ言った。
「食べてくれてありがとう」
 ところが、私は長い間、鍋の中を覗いていたけれど、ついに食べることは出来なかった。あれは、天がわざわざ蟻を降らせてくれたのだろうか。
 サンパウロの町には、セアーザというところがある。大半は近郊の農作物が、ここへ送りこまれる。このセアーザと近郊農家との間を取り持ったのが運送業である。この業者は、たまたま我が家の向かい側に住んでいた。
 住田さんという。彼は、出荷物の運搬をして、更にセアーザでその荷を売り捌いてくれる。それが便利で全て住田さんの手を通していた。そういった連帯関係で進めてきた私たちの農業に、早くも壁が立ち塞がったのである。

 ある日、私は『百姓って、そんなに難しいものなのかなあ』と思った。そして自分でも何か作って見たいと考えた。
 一郎に少々土地を使う許しを得て、ピーマンを植えることにした。何の期待もしていない一郎は、家の側の荒れ地をオッケーした。肥料は使い果たして無い。それで人糞を水に薄めて撒くことにした。石油の空きカンに紐を通した。これに肥を汲む。ひしゃくは小枝を取ってきて、その先に手頃な空きカンを括りつけた。それにしても、ひどい土地である。素人目にも薄茶色でボロボロの土、自信が揺らいだーしかし、もうスタートはした。私はその土に、肥やしを撒いた。肥えびしゃくを使うたびに、えらいのどかな音を立てた。  

 カラーン、コローンと、山の斜面に二日間響き渡った。この音を聞いて、向かいの小高い地にいる住田のおばさんが出てきて、こちらを眺めている。孫をおんぶして、じっと見ている…… 私は肥を使っていることが恥かしい。でも…… あのおばさんには知られているだろう。
 ピーマンを植えた。ところが、これが見事な出来だったのである。この土地へやってきて、作物らしい作物が始めて出来たのである。小規模ではあったが、それでもみかん箱に二十二箱採れた。ピーマンの肉は厚く、跳ね返すようなエネルギーを発散させていた。
 住田さんが、トラックでやって来た。これまでの、取引を通して、我が家の実情を知り尽くしている。その彼が、ピーマンをまるでいたわるようにして運んだ。その後、私はピーマンのことが気になった。一郎にそれとなく聞いてみた。しかし、なぜか全くわけの分からない説明をした。
 ところが次の日である。孫を連れた住田のおばさんが見えた。
「良かったねえ。ピーマンが高く売れて……」
 と、しみじみした声で言った。後で考えてみると、一郎の自尊心が、売れた結果を言わせなかったのだー

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