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降りかかる伝染病や寄生虫=日本移民史に見る病との闘い=聖市在住 毛利律子

 現在発行されている多くの移民史に目を通すと、必ず記載されている項目は「病との闘い」である。100年以上前、山紫水明の穏やかな自然環境に育まれた日本人が、約2カ月近くの長い航海を経て、南米ブラジルに移民として上陸した。しかしその道のりは想像以上に過酷なものであった。
 『戦前移民航海物語・ヨースケ・タナカ』によると、戦前移民は33隻の船で321回にわたり約19万人が渡航し、そのうち、850人を超す死亡者が出たという。
 1918年4月25日、1851人のブラジル行き移民を乗せて神戸港を出港した日本郵船の『若狭丸』において、最も多くの死亡者が出た。出航前の若狭丸に関西方面で猛威を振るっていた「流行性脳脊髄膜炎」が船内に潜伏していた。
 しかも、その犠牲者が出始めたのは、まだ日本国内の門司港停泊中であったということは驚きである。船はそういう事情で引き返せないのだった。同年の7月17日にサントスに到着した83日の間に、その病の犠牲者が50人以上、その他の患者を合わせて65名が犠牲となったという。
 1918年7月11日、441家族、1728人の契約移民を載せた「博多丸」が長崎を出港した。神戸港から長崎港に変更したのは脳脊髄膜炎が大流行したからだという。この船内ではハシカが蔓延し、船内で35人が絶命、8人はサントスに上陸後、各ファゼンダに送られる前に移民収容所で死んだという。43人の犠牲者のうち、35人が10歳以下の子供だった。
 著者の田中洋典氏は、「若狭丸」と「博多丸」の二航海で一〇八人もの死亡者が出たことを、船会社も、移民会社も正確な数字を隠蔽しているという。神戸港からサントスまでの長い航海中に死亡者が出ると水葬になる。幼子を亡くして悲嘆にくれる両親、若い母親は絶望のあまり気絶したという。
 この本で著者は、「移民」の酷い状況を淡々と記録するに止まらず、人々の心の中を細かく描いている。
 船中や、上陸してからの劣悪で過酷な環境下でそれまでの人生で体験した事の無い、しかも逃れられない、後戻りできない現実に耐えなければならない。
 凄惨な病との闘いで、大切な家族を一人一人失っていく。全く接したことのなかった異国の人との人間関係への深い絶望感や飢餓感。体験したことのない苦悩に直面することになった初期移民の歴史は、読み進むにつれ、悲しく切なくて、遣り切れない。

「マラリアの脅威」

マラリア原虫の電子顕微鏡写真(By image by Ute Frevert; false color by Margaret Shear, via Wikimedia Commons)

マラリア原虫の電子顕微鏡写真(By image by Ute Frevert; false color by Margaret Shear, via Wikimedia Commons)

 日系移民の高齢者に昔の話を聞くと、本人や家族の誰かがマラリアに罹ったときのことが必ずと言っていいほど語られる。戦前移民のマラリア罹患に関して『ブラジル移民80年史』につぎのような記録がある。
 第2次世界大戦以前にサンパウロ州のノロエステ鉄道沿線、ソロカバナ鉄道沿線、パウリスタ延長線沿線の3鉄道沿線に全日本人の約60%が集中し、その地帯に「日本人植民地」という名の日本人社会を形成し、日本人会、婦人会、日本人学校後援会、産業組合などの団体を形成した。
 この中の日本人会が組織された一つの目的は衛生管理が大きかったが、病気は絶えなかった。その中でも「マラリア」の被害は甚大で、1925年、26年になってもソロカバナ鉄道オウリンニョス地方では、169家族のうち144家族がマラリア患者を出し、43人が死亡。「同人会」の報告では、同年、ドラデンセ、パウリスタ両鉄道沿線の362家族、1319人のうち、760人が罹病したという。
 マラリアは、熱くて雨が多く森林があり、河川湖沼地帯の、ハマダラカという蚊に吸血されて感染、他の熱帯伝染病が関連して発生するという。
 今から2000年も前のギリシャにすでにマラリアの症状についての記録があり、ローマ帝国末期の崩壊の原因の一つにもなったとつたわる。
 また、アレクサンダー大王がユーフラテス川畔に滞在中、10日間の高熱の後に死亡したため、マラリアではなかったかと言われている。今日、世界で年間100万人以上が死亡しているという報告がある。
 ヒトに寄生するマラリアには4種あり、その中でも致死率が最も高いのが、熱帯熱マラリアで、ハマダラカに刺されて7日から10日後、ほとんどの場合一か月以内に発病。本格的な症状が出る前に、悪寒で全身がガタガタと震え、そして、39~41度の高熱とともに激しい頭痛、吐き気、嘔吐に襲われる。
 マラリアには悪性と良性があり、発熱と解熱の周期はマラリア原虫によって異なり、これらは治療しやすい病気といわれているが、完全に治療しないと再発の恐れがある。熱帯熱マラリアはあらゆる赤血球に寄生し、次々と赤血球を破壊し、マラリアに罹ったことのない日本人が感染すると、意識障害や腎不全になり、ほぼ100%死亡する。(『寄生虫ビジュアル図鑑』)
 同じく『ブラジル移民80年史』によると、マラリアに続いて日系移民を悩ませた病は、トラホーム、アメーバ赤痢、十二指腸虫、肺結核、精神病であった。特に、トラホームの害は、1926年にピリグイ地方の日本人小学校児童三百六十二人の罹病率が86%であった、という。ほぼ全員に伝染していたということになろうか。
 トラホームはトラコーマのドイツ語読みで、クラミジアという病原体の感染によって結膜炎を発生させ、目が真っ赤に充血し、瞼の裏に水膨れができ、角膜が濁ってやがて失明する。今日先進国では見られなくなった病気の一つといわれている。

「腸寄生虫病の衝撃」

アスクレピオスの杖、WHOのロゴマーク

アスクレピオスの杖、WHOのロゴマーク

 今日、市街地の病院や、毎日のように走り回る救急車で見かけるロゴマークがある。「アスクレピオスの杖に蛇が絡みついた」おなじみのロゴマークである。
 アスクレピオスの杖とは、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの持っていた蛇(クスシヘビ)の巻きついた杖。医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークである。
 古来より医師は常にこの虫を巻き付ける杖を携帯していたそうである。そしてこの杖に巻き付いているのは、再生の象徴とされている蛇といわれているが、実は寄生虫のメジナ虫だったという説が有力である。「メジナ虫(ギニアワーム)症」という寄生虫感染症は古代から広く蔓延していたという報告がある。

マッチ棒にギニア虫を巻きつけヒトの足から取り除く(By CDC [Public domain], via Wikimedia Commons)

マッチ棒にギニア虫を巻きつけヒトの足から取り除く(By CDC [Public domain], via Wikimedia Commons)

 メジナ虫は体長1メートルにも及ぶ細長い虫で皮膚の中に寄生している。それが時々、皮膚を破って顔を出すという恐ろしい病気だが、その時に虫を引きずり出せば治療することができた。そのために、古代から医師は虫を巻き付ける杖を携帯していたということである。
 契約移民で上陸した人々の中にも寄生虫保持者が非常に多かったことが記録に残っている。
 寄生虫とは、46億年前に、地球上に初めて生命が誕生して以来、進化のプロセスの中で生物は絶滅種を除いて推定870万種に及ぶという。そのプロセスの中で、生物と生物との間に共生と寄生という関係が生まれた。
 寄生虫はシラミやノミ、ダニといった体表面につく外部寄生虫と、サナダムシ、回虫、十二指腸虫である。
 『ブラジルの農村病』という本では多くの頁を割いて、腸寄生虫病についての詳細な説明がある。
 日系人植民地に浸透していたのが、マラリアと十二指腸虫病で、奥地の日系人植民地にはアマレロン(大黄色)と呼ばれる寄生虫患者が人口の70―80%もいたという。
 人体寄生虫で最も恐ろしいのは「マンソン氏病」で、糸くずのような小さな虫で、十二指腸虫や小腸に住む。腸に住むので消化された栄養分を吸う虫かというとそうではなく、粘膜から血をすいとる吸血虫なのである。
 そのため、一度この虫が体内に入ると極度の貧血状態になり、すべての内臓器官だけでなく全身にわたり、機能を弱め日常の生活に支障をきたす。その上、ノイローゼやバセドウ氏病、アレルギー疾患、心臓機能不全といったあらゆる病気を引き起こすことになる。
 原因不明のような病気で苦しむ患者には、まず、体内に潜む寄生虫を徹底的に出しきることを考えるべきである、と述べられている。このように、マラリアのない地域では寄生虫病が病の大きな脅威となる。

「寄生虫予防法」

カイチュウ (Ascaris lumbricoides) 左の目盛りは3cm.( [Public domain], via Wikimedia Commons)

カイチュウ (Ascaris lumbricoides) 左の目盛りは3cm.( [Public domain], via Wikimedia Commons)

 寄生虫の感染経路は様々である。しっかりと洗浄された野菜、加熱された肉や魚を食べることは当然として、最も気を付けなければならないのは、「排泄」である。
 前掲書では、その予防法として次のようなことが提示されている。
 都市ではほとんどが水洗トイレであるが、農村の場合は水洗ではなく、「落とし込み」なので、1メートルの高さになると穴を掘り替え、落とし口にはふたをする。
 はだしで地面の上、プライアの砂の上を歩いたり寝転んだりしない。みだりに子供を犬犬猫に近づけない。犬猫の糞が子供の遊ぶ場所を汚すことが無いようにする。
 手洗いやお風呂に入り身を清潔にすることは言うまでもなく、衣類、寝具、台所周り等の生活空間を清潔にすることが、基本的な予防法になる。

「ある黄熱病患者の症状」

 黄熱病には、真性黄熱病と森林黄熱病の二種があるそうだ。
 『ブラジルの農村病』に、一つの体験談として紹介された黄熱病患者の症状の記録がある。少々長くなるが要旨を纏めると、発病する数日前から風邪のような、だるさを感じた。
 そして突然高熱が出て、ガタガタ震えだし、気が遠くなった。気づくと入院していた。頭は割れるように痛み、胃も悪く、腰と四肢の関節が我慢できないほど痛む。脈拍は100から120と早い。鎮痛剤を飲むうちに症状が落ち着き、熱も下がり始め、脈も平常になってきた。
 ところがこの頃から目、顔、全身に酷い黄疸が表れ、皮膚のところどころに紫色の斑点ができ始めた。鼻や口腔の粘膜、舌の表面まで出血し斑点が現れた。便は黒く柔らかく、コーヒー色のものを吐くようになった。
 尿の回数は減り、赤色や黒色になる。肝臓の痛みは胃よりもひどいが肥大は無い。血圧は低くなり、この無力状態が進むと、体力のない病人はたいてい、5日から9日目に死亡する。死ぬ前にはうわごとを発したり、強いヒキツケをおこす。
 快方した場合は5、6週間で全快するが、社会復帰は100日以上かかる。しかし、この患者が感染源となって、他の人に伝染することが多い。
 黄熱病はすぐに黄疸の症状が表れず、嘔吐・下痢の症状から、赤痢、チフス、ワイル病、デング熱と間違えられやすく誤診されることがある。したがって、経過観察が重要になる。

「伝染病とは」

 以上のように初期移民史から、日系人移民を苦しめた「病」の記録を、乱暴な纏め方ではあるが、注目してみた。
 感染症、疫病、伝染病という、短い期間に多くの人々が苦しみの中で死に至るという恐怖の病は今に始まったものではなく、感染症の歴史は驚くほど古く、確実な記録を探すと、紀元前3000年前、すなわち今日から遡って約5000年前には古代メソポタミア(現在のイラクの辺り)の文学作品の中に記録されているということである。
 神の手により大洪水が起こり、その時に疫病が大流行して多くの人命が失われたというのである。
 その後は、この文学に影響を受けた旧約聖書の『出エジプト記』などで、より詳しい感染症の記録が残された。創造の神は、エジプトのファラオに10の災いを与えた。
 その一つが皮膚病の伝染といわれ、紀元前1200年のユダヤ人の出エジプトから50年後の、紀元前1250年ごろに死亡したであろうラムセス5世のミイラには天然痘の痘痕がはっきりと残されているということが報道された。旧約、新約両聖書や日本の古事記などでも、数多くの伝染病が登場する。
 人類はこのように、実に数千年も前から、ある時期に突如として人間を襲う得体の知れない不気味な病。身分の高い低いに関係なく、人から人へ、瞬く間に伝染し、辺り一帯が修羅場と化し、苦しみ悶えながら次々と死んでいく恐ろしい病との闘いを繰り返しているのである。
 今日の医療の進歩は目覚ましく、日本人は100年を健康で長生きする時代を迎えている。しかし、高齢社会を迎え、寿命が延びた一方で、介護の問題はたいへん深刻になり、理想と現実のギャップに苦しむことになっている。ブラジル日系社会も高齢化し、介護分野が様変わりしているようだが、寝たきりの状態になって、床ずれの痛みに苦しみながらも自分のことができなくなるという、不自由な状況に置かれていることも事実である。現代は家族関係や社会との人間関係も非常に難しく、不可解なもつれを引き起こし、悩みは深くなる一方である。

 人間はいつの時代も、誰もが老いと病いを体験する。また予想外の変化が起き、そういう事態に直面して不安は際限なく増幅され、道に迷い、落ちこぼれ、挫折し、病で大事な人を失い、自分もまた病んで死んでいくことになる。悩みや境遇は他人と比べることはできず、たとえどんな環境であれ、死ぬまで生きていかねばならない。
 とはいえ、文献を通して初期移民の歴史を知ると、当時の人々の置かれた境遇やその想いは筆舌に尽くせぬものであることをうかがい知ることができ、そこから多くのことを考えさせられた。
 ふるさとを離れてブラジルで生きるものの一人となった今、初期移民の方々の生き様に思いを馳せ、偲ぶことを大切にしていきたいという思いを強く抱いている。
【参考文献】
★『戦前移民航海物語り・ヨースケ・タナカ』サンパウロ人文研究所2010年
★『ブラジルの農村病』細江静男、アマゾニア日本移民援護協会
★『寄生虫ビジュアル図鑑』誠文堂新光社2014、東京

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