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どこから来たの=大門千夏=(70)

 夫が亡くなって二年たった。一人で骨董屋を続けていた。
 疲れ果てて旅から帰って来ると必ず何か問題がおこっている。
 借家の事、商売の事、持っている土地の事、使用人の事、その上、日本にいる母の事まで、毎回毎回多いときは一〇個くらい問題が重なってやってくる。
 あの日、飛行場に出迎えた娘は私の顔を見るや「すぐに決断しなくちゃいけないことが六つあるのよ」と言った。
 いつもの事ではあるが、しかし今回は特に気が重い。聞きたくない。知りたくないのだ。今日一日は平安に休ませてほしい。
「まず第一は…」と娘は私の顔色を窺いながら、「持っている土地に(夫が病気になってから、この土地を見に行く気にもなれず放つてあった)後ろの住人が六mも越境して家を建て増ししているの。一日も早く手を打たねばならないのよ」
 それから二つ目はと娘は言う。
「借家にいる人が、裏にある離れの家を勝手に又貸してしまったんだって。これもすぐに解決しないといけないわ」
「どのようにするかすぐに結論を出してね」…そうしてあと四つの問題を順番に述べた。気が重く家に着いてもトランクを開ける元気はない。
 夜になった。どうしたら良いのだろうか。何からどのように手を打つべきなのか。全部私一人ですぐに解決しなければならないのだ。
 窓を開けると星が煌めき平和な光を放って他人事のように私を眺めている。私にばかり問題が襲ってくる。夫の死後、私一人が悩み苦しんでいる。
 疲れ切った体に解決できない問題に直面して腹が立ってしようがない。一人になったからこんなことが起こるのだろうか。情けなくて悔しくて誰かにぶつけないとやりきれなかった。
 黒ぶちの額に収まった夫の写真は私を見ておっとりと笑っている。見ているとムカムカと腹が立ってきた。何か意地悪を言いたい。嫌味を言いたい。
「一人でさっさと行ってしまって、私に全部難題を押し付けて!」と声に出して言うと、あとは堰をきったように感情が高まって歯止めが効かなくなった。
「バカヤロー」と最後は大声をあげて丁度手に持っていたタオルを丸めて、夫の写真めがけて投げつけた。タオルは途中で開いてふんわりと夫の顔にふれて落ちた。
 その晩から急に胃がおかしくなった。重く閉塞した感じがする。痛みも出てきた、内側に一枚のゴワゴワの皮が張りついたようで息苦しく重圧感が続いた。そのうち食事が通らなくなり、何も食べられなくなった。急激に力が無くなり歩く事も、物を言うことも出来ないほど衰弱して、ついに娘にだき抱えられて医者に行った。
 胃の粘膜にただれが起きているところが二ヵ所あります。「薬をきちんと飲んでくださいね、心を落ち着けてイライラせずゆったりした気分で過ごしてください」と私を診察してくれた女医は、冷静な顔をして何度も言った。
 自分が初めて本格的な病気になったと思うと気がめいった。まだ私が倒れるわけにはいかないのだ。二人の子供を社会人に育て上げるまでは。
 六種類の薬を日に三回飲みだして丁度一〇日目だった。一向に良くなる気配はない。薬をじっと見つめて口に入れようとしてふと考えた。
 もとはと言えば夫の写真にバカヤローと言ってタオルを投げつけてから起こったことで、自分で興したことなのだ。自分が作った病気なのだ。私の短気、思慮のなさ、精神の弱さがさせたことで夫の責任ではないのに…。

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