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どこから来たの=大門千夏=(20)

 青い氷が輝いているという南極をぜひ見たいと二〇年も昔から願ってきた。なんで?と聞かれても大した答えはない。ただ美しいから見たいのだ。
それと、あの世に行って夫に会ったら「地上から眺める南極は、天空から眺めるよりずっとずっと美しいのよ」と大いに威張って話したいという単純な動機である。
 ちゃんと計画を立てて出港に合せて来ればいいものを、自分の都合のよい日に来たのだから自業自得。しかしこんな失敗は毎度のことで、わかってはいるけど、ついつい勝手に好きなように行動しては、ほぞをかむこと度々で、母に言わせると、「世界は自分中心に回っているように思っている貴女は宇宙人。ばかばかしくて聞いておれません」と言って最後まで私の旅行の話を聞いてくれたことがない。
 それほど何年も願って、はるかサンパウロから来たのに、船が出港したと聞くと当日は気落ちして食欲もなく落ち込んでいるが二日目になると、「天候によっては南極大陸に上陸できない事もあり、船から見るだけだったり、南極諸島という周辺の島々に上陸するだけということもあります」というパンフレットの説明を読むと、とたんに元気づいて「きっと南極は雨日なんだ。神さんが止めたほうが良いとおっしゃったのだ」とあっさりあきらめた。
 「馬鹿と貧乏人は諦めがはやい」というが、マコト私にぴったりの格言だ。
 ここウシュアイアは今、夏の真っ盛りというのに家の中には暖房を入れ、外出には真綿入りのジャケットを離さず着ているが、それでも凍るような冷たい風が終日吹きつけて、頬が針で刺されているように痛い。日本の冬より数段寒い。町の背後にはギザギザと先が鋭く尖った山々が見える。その上に雪が残っている。穏やかな丸身を帯びた山ばかり見てきた私には、ここはやはり私の知らない過酷な世界なのだと得心した。
 かつてこの辺りにはヤーガン族、オナ族などの先住民が生活していたが、彼らはこの厳しい寒さの中で、半裸で生活していたそうだ。冬の平均気温は摂氏零度。「世界の果て博物館」の係員から話を聞きながら、人間という動物はどんな環境にも適応できる能力があるのだと感無量で聞いた。
 それにしても彼らはこの寒さの中でどんな事を考えながら日々を過ごしていたのだろうか。今の人間と同じように幸せも苦しみも、希望も悩みもあったのだろうか。
 その後、悲しいことに、西洋人のもたらした病気の蔓延で部族はほとんど絶滅したと聞いた。
 街を歩いているとヒヤシンスをたくさん見かける。耐寒性の強い花らしく、ここの凍るような冷たい風にもめげず背丈が一mくらいあって、花の色がかつて見たこともない鮮やかさで生き生きと咲いている。
「ここが本当の私の生きる場所です」と誇らしく教えてくれているようだ。
 私にだって本当の場所があるはずだ。私がいきいきと暮らせる場所が。否、かつて生き生きと暮らしていた場所はどこだったのだろうか。
 五日間もぶらぶらと観光して、もうこれ以上は小さな町だから見るところもない。中学の歴史の時間に習ったホーン岬、ビーグル水道も見た。再び来る日があるのだろうか。
 いよいよ別れの日がきた。このホテルともお別れだ。
 昨日この町で買った新しい紺色のセーターを着てみた。鏡の前でにっこりして、着古したセーターを部屋の隅にあったごみかごに投げ込んだ。
 色落ちし弾力を失ったセーターは雑巾のように自己主張がなかった。

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